ニーチェの永劫回帰
ニーチェには永劫回帰という発想がある。
永劫回帰とは、自分が死んだ後も、もう一度まったく同じ自分の人生を初めから、まったく同じように繰り返すということである。
この考えはいろいろと解釈されてきたが、中でも、ドゥルーズという哲学者の解釈について紹介したい。
ドゥルーズのニーチェの永劫回帰解釈を一言で言うと、
永劫回帰は永劫にこの人生が回帰することではなく、永劫回帰を意志するような生き方のこと!
である。
では、これを3つの観点でさらに詳しく説明したい。
・「永遠回帰とは選択的である。」
永劫回帰というのは永劫に繰り返されることではなくて、今この瞬間にしようとしていることは何度もしたいほどしたいことなのかを自分に問いかけるということなんです。
それも、一度だけ欲するものではなく、永遠に欲するものだけを欲せよと、ドゥルーズは言っています。
「永遠回帰はカントの規則と同じくらい厳密な規則を意志に与えるのだ。…「君が為そうと意志しているすべてのことにおいて、「私はたしかにこのことを無限回に亘って為そうと意志するであろうか」と自問することから始めるならば、それは君にとってもっとも堅固な重心となるであろう。」
・「否定的なものは回帰しない。」
すべてが回帰するはずなのに、なぜ否定的なものは回帰しないと言えるのでしょう?嫉妬や妬みといった否定的なものは永遠には繰り返したくないですよね?確かに自分が成長するために、なんらかの否定を通して成長するということはありうるけれど、決して永遠には欲しない。それを永遠に繰り返すなら、一度の否定もないほうが明らかにいい。そのため、少なくとも私が為すすべての行為に関しては否定的なものが回帰するよう意志することはできない。
・回帰するのは同じものではなく、差異である。
永劫回帰というのはこの人生が実際に何度も繰り返されることではなく、永遠に回帰することを肯定できるような生き方のことなんだけど、それはどんな生き方だろう。例えば、芸術家がとてもいい作品を作り満足する。芸術家はまたとてもいい作品を作ろうと思う。では、芸術家はまったく同じ作品を再生産するだろうか?それではおもしろくないと思うのではないだろうか?今度はまた前回とは少し趣向を変えたりして新たなとてもいい作品を創りたいと思うのではなかろうか。これはたぶん、毎回、新しい何かを創造しているから、毎回、それが創造であるという点では同じだけど、創造されているものは違うから。ピカソは同じ絵を描かないし、その画風もすぐ刷新する。