2025年12月8日月曜日

ライプニッツの夢見る石ころ

そう、たとえるなら、子どもが描いたたった一枚の落書きにも、実は読み取ることのできない全宇宙が描き込まれている、とでも言おうか。


石ころが転がっている。

石ころが存在している。

なぜ?......偶然。

こんな石ころにも、魂が宿っているとしたら?

存在が生まれる前、現実が生まれる前、宇宙が生まれる前、

あらゆる可能性がつまった、いわば卵のようなもの

この卵は存在を求めて宇宙を夢見ている。

その可能性は無限大。卵はそのすべてを実現する力を秘めている。

だが、我々がその卵から生まれてきたのだとして、

あのときの可能性の1%も実現できたのだろうか。

ところで、この卵は、宇宙のすべてを知っている。

ここから起こり得ること起こるだろうこと、見えること、見えないこと

それどころか起こらなかったこと起こり得ないこと、知り得ないことまで。

なにしろ、丸い四角のような不可能な図形や

赤い匂いがする数字概念1の肌触りという

意味の分からないものさえも含まれているらしいのだ。

だが、当の卵自身はそれを知らない。

知っているのに知らない。つまり、気づいていないのだ。

空を見上げれば昼であっても、無数の星が瞬いているはずだ。そう、全宇宙の真理はすでにあなたの目の前にすべて映り込んでいるはずだ。

ただあなたはその細部に至るまでは認識できない。

だが、意識の太陽が沈み、闇の中に身を置けば

こそ、無限の宇宙が開かれる。

それこそが殻に閉ざされ、未だこの世界に

投げ出されていない卵なのだ。

だが卵は待っているのではない。

外から与えられる光も、衝撃も、啓示も必要としていない。

その闇に閉ざされた殻の内側で星のように輝き

始める。すでにすべては始まっている。

卵は世界を「映す」のではない。

世界を「生じさせているのだ。

見ず、聴かず、触れず

それでも、その内側で、ひとつの宇宙を正確に

緻密に、絶えず描きつづけている。

ただ、自らの法則にしたがって、自らの宇宙を展開している。

その姿は、まるで静止しているかのように見えているが

本当は、どんな星雲よりも激しく、どんな時間よりも深く動いている。

世界と世界は互いに触れ合わない。

だが狂いもなく、ずれもなく、響き合っている。

ここから124光年離れた惑星で

宇宙人が溜息をついても、

この卵の中の宇宙は微細な反応を遂げる。

この卵は殻の中に閉ざされているのに、

外の世界を正確に受けとり、表現する。


石ころが転がっている。

石ころという存在者... なぜ?

可能な限りたくさんの可能性

ありえた世界、ありえなかった世界もしもの世界を思い浮かべてみよ。

この無限の可能性の中でこの世界だけが

選ばれた理由は、誰の目にも映らな一場所で

静かに永遠に成立している。


それが最善だからだ。卵自身が無意識のうちに、自身にとって最も良い選択肢を選び取ったのだ。


だがそれでも私は尋ねずにはいられない。

この世界が最善であるならば、

私たちに与えられたこの漠然とした不安は、

いったい何のためにあるのか?

しかし、その不安すらもまた、

あらかじめ用意されたひとつの響きであり、

この宇宙という楽譜のなかに、

すでに書き込まれている音なのだとしたら?

卵は、沈黙している。

語らず、動かず、ただ在る。

しかし、その内側では、

世界が幾度となく生まれ幾度となく滅びている。

そして、卵の奥深く、

闇とも光ともつかぬぬくもりの中で

ひとつの胎児が静かに眠っている。

その胎児は、まだ言葉をもたない」

まだ、自分自身すら知らない。

けれど、その夢の中で

星々はすでに燃え、海はすでに波打ち

人々はすでに愛し、失い、問いを発している。


そして私は思う。

世界とは外にあるのではない。

この世界とは、この胎児の見るひとつの夢に

すぎないのかもしれない。

石ころが転がっている。

それは、まだ目覚めぬ胎児が、いま、この瞬間

に見ている夢のかすかな揺れなのかもしれない。

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