2018年12月24日月曜日

ある寺院

私が千葉県船橋市に住んでいたころの話である。

その駅にはちょっと大きめの広場がある。

広場の真ん中には、天使の彫像がてっぺんについた西洋風の大きめの時計台があり、時計台をぐるっと軒が囲い、その軒をぐるっと広めのアスファルト道路が囲っており、バスやタクシーの乗降場所となっている。
そして、ちょうど駅の出入り口の真向かいに駅に、駅から時計台と対称のところに商店街の入り口がある。
商店街にはもちろん、賑やかそうなお店がたくさん立ち並んでいる。
お決まりのおみやげ屋さん、ご当地キャラクターふなっしーのショップ、マクドナルドや、吉野家、日高屋などのチェーン店、コンビニ、お茶屋さん、酒屋、蕎麦屋など、老舗の寿司屋
また、この商店街には、小さなお寺や神社もところどころ店と店の間に立っている。

また途中で別の鉄道が横切っており、要するに踏切が横たわっている。

商店街の道は車が1.5台通れるぐらいでちょっとした登り坂になっており、ちょうど盛り上がった台地へと続いているのだ。

左右に灯籠が立ち並び、電気が自動的に点灯する。この商店街を道なりに登ると、ついには仁王門まで辿り着く。

 夕暮れ時、駅前大通の入り口に立って、眺めると、その灯篭と商店街の店の明かりが上に向かってしだいに小さくなりながら、きれいに並んでおり、整然とした美しい景観になっている。

ここから先は聖域である。
このさらに奥には、五重の塔や大きな寺院が控えている。

だが、そこに到達するまでにもまだ同じ広さの道が続いているのだ。

ただ、もはや道路はアスファルトではなく石畳、灯篭は蝋燭を思わせるデザインの小さめのライト、そして、燭台に立てられた左右の端は盛り上がっており、商店街は終わり、左側には墓地が、右側には木々が立ち並び、小さなお寺の入り口もいくつかある。

この駅から五重塔までの道はすべて南から北へとまっすぐ続く登り坂で、つながっており、双眼鏡があれば、そして、電車が横切らなければ、駅から五重塔までのすべての行程が拝めるだろう。

 そして、この五重塔と大きな寺院と仏殿のある到達地には、仏殿の宝庫、何かの記念碑、庭園、墓地があり、大体120メートル四方の敷地となっている。敷地の外はちゃんとした森のようになっていて、民家もあるけれども、だいぶ少なくなっている。

北は完全に山へと続き、さらに山道の参道がある。修道僧や、さらに山の上にある、寺院の参拝者が使用する。
西側には、中学校があり、別のルートで生徒たちが通学している。
そして、東側には精神病院が建てられており、不気味な様相を呈している。

そんな場所だから、ホラーを書くには事欠かないだろう。
私はこの大きな寺院に散歩がてら参拝に行く。

それも真夜中の二時に。

そうすると、なんとなく深遠な気分になる。

2018年11月28日水曜日

大鴉





エドガー・アラン・ポー作 

加島祥造訳



 あれは嵐の吹き荒れる夜のことだった。それも真夜中だ。悲しさにぐったりした気持でもう世に忘れられた古い怪奇な物語を読んでいた。ふと、うとうと睡りはじめた。と、とつぜんこつ、こつ、こつ、まるで誰かがドアをそっと叩くような音。「誰かが訪ねてきてドアをノックしているんだ」とぼくは呟いた。「ただそれだけだ、なあんでもないのさ」


2018年11月17日土曜日

「アイ・フランケンシュタイン」と「失楽園」、そして「フランケンシュタイン」

「アイ・フランケンシュタイン」という映画があるが、ご存知だろうか?

「アンダーワールド」のスタッフによって作られた2014年のアクション映画で、ヴァンパイアと狼男をモチーフとした「アンダーワールド」がヒットし、続編も創られたのに対し、フランケンシュタインをモチーフとしたこの映画は興行収入が振わなかった。内容がおもしろくないせいである。

実際に私はこれを見てみたのだが、確かにおもしろくない。筋もあまりそそられないし、アクション映画、映像として、何かが足りない。しかし、今まであまり描かれてこなかった観点が描かれている。ここではそれを説明したい。

映画のあらすじを説明すると、
かの原作の「フランケンシュタイン」では、名のない怪物は自殺をほのめかす言葉を残して闇夜に消えて行ったという終わり方をしているのだが、「アイ・フランケンシュタイン」では、その続きを現代に至るまでその怪物は生きていたという仮定で描くのである。その上で、悪と戦う天使としてのガーゴイルたちと、堕天使である悪魔たちとの争いに巻き込まれるという展開になっている。


 みなさんは、どうしてフランケンシュタインが科学の力によって創った怪物が天使と悪魔の争いに巻き込まれなければならないのか疑問に思うのではないだろうか?

「ブレードランナー」、あと「フランケンシュタイン」とか


1982年のサイバーパンクの金字塔である映画「ブレードランナー」から35年後の2017年に続編「ブレードランナー2049」が創られた。

 一作目は2019年11月が舞台であり、二作目は2049年冬(おそらく12月)が舞台であり、設定ではちょうど30年の月日が経っている。

 いまやあらゆるものの続篇リメイクが撮られ、もはや描くものすべてが見たことがあるもののパッチワークだというこのシミュラークルな時代において、その主題自体を提示していたこの映画によって、いったいいまさら何を撮ろうというのか?
 そこには、「新しき夢」があるというのか??

という問いはさておき。思うことをつらつらと語りたい。まずは魅力的な人物からはじめよう。
 この続篇映画において最も魅力的だった人物、それはレプリカント(有機的な人造人間)の発明者エルドン・タィレル博士の後を継ぎ、レプリカントの改良を重ね発展させ続けるニアンダー・ウォレスである。ジャレット・レトが演じたその存在からは人間を超越したオーラが醸し出されている。
Niander Wallace

Pain reminds you the joy you felt was real.

「痛みは、自分が感じた喜びが現実のものだったってことを思い出させてくれる」

 

 

Every civilization was built on the back of a disposable workforce.

「全ての文明は使い捨ての労働力によって建設されてきたんだ」

 ウォレスは、多くの従順で有能なレプリカントを作り出し、人間のために働かせる奴隷として売りに出す。その生命の扱いは道具的である。
 さて、ウォレスは生命を作り出す「神」なのか?それとも、創り出した生命を苦しめる悪魔なのだろうか?
(以下、ネタバレもあります)

2018年11月6日火曜日

将来なにをしたらいいのかわからない人へ



将来どうしたらいいのかわからない。漠然とした不安がある。どうやって生きていったらいいのかわからない。何かしたい、でも何をしたらいいのかわからない。

そういう悩みを抱えている人は、自分自身を見つめなおすことで、自分自身の本当の望みへと近づくと思います。

でもどうやって??

私は次のような形で自分自身を分析し次へと進むための方法としました。

2018年4月7日土曜日

私はフランケンシュタイン


先日、フランケンシュタイン読書会を行った。

みなさんはフランケンシュタインを読んだことがあるだろうか?

 映画やオマージュ作品があふれているために、イメージはあっても、原作を読んだ人は少ないかもしれない。

 読書会では次のような読み解きがあった。

 怪物は怪物と呼ぶにふさわしくないほど人間的で感受性豊かで愛もあり壮大な自然を甘受して心打たれている。
 一方で、怪物の創造者、いわば怪物の生みの親、ビクター・フランケンシュタインは精神的に成熟しておらず、自分勝手で自分で生み出した被造物を、自分の子供だと思わないで、醜いものとして退け逃避した。
 しかも、対面時に怪物が冷静に理性的に語り掛けているのに対し、ビクターは端から拒絶し全く耳に入れようとしないのである。
 むしろ、逆説的に怪物のほうが人間で、ビクターのほうがその見た目とは裏腹に怪物なのである。

 こうした意見を持って、参加者のみなさんは怪物に共感していた。だが、私は違った。

 私はビクター・フランケンシュタインに、そしてまた、志を同じくするウォルトン隊長(怪物を追跡するビクターと遭遇し、ビクターに話を聞いた北極探検家)に共感している。

例えばこういう部分である。

「私は大喜びで、これらの著者の放恣な空想を読み、かつ研究したが、そういうものは、私以外の人のほとんど知らない宝のような気がした。 私は自分を、自然の秘密を洞察しようという激しい憧憬にいつも浸っている者だと称した。近代の哲学者たちの烈しい労作やすばらしい発見にもかかわらず、私はいつも、自分で研究してみたあげく、不満と不足を感じるようになった。」36頁

2018年4月4日水曜日

映画「フランケンシュタイン」(1910)とホムンクルス 〜パラケルススとエディソン〜

universal picturesの
「フランケンシュタイン」
あなたもよく知っているフランケンシュタインの怪物像は1931年のユニヴァーサル・ピクチャーズによる映画です。

ですが、ご存知ですか?

実はそれより以前、1910年にフランケンシュタインは映画化されていたのです!

それもなんとあの発明王、トーマス・エディソンの映画会社エディソン・スタジオが作っていたのです!

 映画の父とされるリュミエール兄弟が1895年に映写機シネマトグラフを開発したことは知られています。しかし、その4年前、すでにエディソンはシネマトグラフの原型となるキネトスコープを開発していました。そのキネトスコープによって造られた映画の一つが「フランケンシュタイン」であり、フランケンシュタインの初めての映画化と言われています。

これからネタをばらしていきますので、よかったら、今見てみましょう。10分程度の短編です。

では、このエディソンスタジオの「フランケンシュタイン」では、どんな造形の怪物だったのでしょうか?

見てみましょう。こちらです。

2018年3月11日日曜日

映画「フランケンシュタイン」(1931)とゴーレム伝説


こんなイメージ
フランケンシュタインといえば、みんながうかべるイメージがある。

 それは1931年にユニヴァーサルピクチャーズによって作られた映画の中でボリス・カーロフが演じた怪物だ。


頭にボルトが通っているイメージがあるが、
よく見てくれ!!

頭ではない、首だ!



この怪物のイメージはあまりに強く、
そのためか「怪物」が「フランケンシュタイン」だと思われている。しかしそれは誤認だ。怪物はあくまでビクター・フランケンシュタインによって作られた名のない怪物なのだ。今でも怪物の名前を誤認している人がいるそうだ。(なので以後、創造者をビクター、被造物を怪物と呼ぶ)

 この映画で怪物は首にボルトが入っており、言葉は話せないし、頭も悪いようだ。だが、原作では、ボルトの記述はなく、言葉を話すし頭も良い。

 なぜ、このような造形になったのだろうか?私は、ひとつは疑似科学的な説明、もうひとつはゴーレム伝説の関与があると思われる。

先日行った読書会でもその話題になったのだが、首のボルトは怪物が電気で生命を吹きこまれることによるのではないだろうか?

 原作では、生命創造が何によるものか明示されていないが、ビクターが落雷に衝撃を受けるシーンがあり、初版には落雷の後にビクターの父が凧による実験を行って見せるシーンがある。
 これは明らかに、当時の科学に基づいており、また、生命創造は電気によるものであることを示唆しうる。

 実際、当時、ガルヴァーニが筋肉を動かすのは電気だと唱えており、(1791年)ベンジャミン・フランクリンが雷が電気であることを凧による実験により証明している(1752年)(実際は凧ではなかったという説もあるし、ガルヴァーニの説による動物電気はボルタにより否定されているが)
 それはともかくも、この1931年の映画以後、怪物は電気によってつくられることが常識となる。

 続いて、怪物が巨体であることについてだが、原作では8フィートであり、それは肉体のつなぎ合わせ等に際して、巨体のほうが細部に手を加えやすいがためと原作中で説明してある。ちなみに怪物を演じたボリスカーロフは180センチ(5.9フィート)である。

 原作とは違って映画の怪物はしゃべることができない。これはなぜだろうか?

2018年3月10日土曜日

ポーの大鴉の朗読者リスト

"The Raven" by Edgar Allan Poe
エドガー・アラン・ポーの「大鴉」はさまざまな人たちに読まれてきました。
実は、この詩は今までとても多くの人によって朗読されてきました。
ここで紹介しましょう。

…その前に
 来週、カラスをモチーフにしたイベントで、私はこの大鴉をパフォーマンスを交え朗読します。
★日時
2018年3月16日(金)19:00
3月17日(土)11:00/15:00/19:00
3月18日(日)11:00/15:00
★会場
クロッキーF美術館
(名古屋市昭和区小桜町三丁目20-2)
(地下鉄桜通線「御器所」駅下車、1番出口より徒歩約5分)
ご予約はこちら、https://www.quartet-online.net/ticket/irishcoffee?m=0hedfgd
ぜひいらしてください。

では、これまではどんな大鴉の表現があったのか、見ていきましょう。


BY VINCENT PRICE 

まずは三大怪奇スターのひとり、ヴィンセント・プライスの朗読する大鴉をどうぞ↓
https://youtu.be/T7zR3IDEHrM
ヴィンセント・プライスは、マイケル・ジャクソンの「Thriller」でナレーションを務めたことでも有名ですが、彼は若いころ、ロジャー・コーマン監督のポーの作品をモチーフにした映画に多数出演していました。

 中でも「大鴉」をモチーフとした”The Raven”(邦題:忍者と悪女)という魔法使いの戦いの映画(原作からかなり逸脱した作品だがw)で主演を務め、そのときにも大鴉の一説をパロったシーンを残しています。
The Raven (1963)
←ワインをくれとねだる生意気な大鴉w
https://youtu.be/O_NBFJ4pow8

ヴィンセント・プライスの朗読にはティム・バートンも熱烈なファンであり、明言しているだけでなく、映像で示していました。
 その短編映像、ヴィンセント・プライス本人がナレーションをし、タイトルはなんと「ヴィンセント」!!

 そして、個人的なことですが、実はこの短編アニメーションこそ、私がポーの「大鴉」へ興味を持ったことのきっかけとなった映画なのです。最期の最後まで見るべし。



2018年2月23日金曜日

フランケンシュタイン翻訳本リスト(刊行200周年記念読書会に向けて)


今年はなんと
"Frankenstein; Or, The Modern Prometheus"
通称「フランケンシュタイン」の刊行200周年です!
あまりに有名な作品だけに逆にちゃんと読んだことがない人が多いと思われます。これを機会にみなさんも読んでみましょう。

「一般的には恐怖小説に分類される本書だが、読んで感じるのはおぞましさやおどろおどろしさよりも、圧倒されるほどの哀しみだ」新藤純子


「この物語のできた動機は、前にも言ったように、俗悪な面白くない幽霊物語に対抗して、面白くて本当に文学的な幽霊物語を書くことにあった。」山本政喜

そこで名古屋市の特殊書店ビブリオマニアにて、3/11フランケンシュタイン読書会を開きます。https://twitter.com/KeinWeg/status/963100058932592640
→特殊書店ビブリオマニアって??→https://bibliomania-books.com

・・・・だが、まずは読むといってもどの訳本で読んだらいいのか。
翻訳まとめて比較読み!!
…はさすがに大変なのでww、
フランケンシュタインの翻訳本のリストを作成しました。
参考にしていただけたらと思います。
{表紙写真、訳者名、挿絵画家、出版社、シリーズ名、出版年、コメント、一文の翻訳}
で出版順に掲載しました。同じ訳者はまとめて掲載します。

山本政喜 福沢一郎/絵 新人社 「巨人の復讐―フランケンシュタイン」 (世界大衆文学全集〈第11〉)1948
この本が探した中で一番古い翻訳本と思われる。
目次の小タイトルが独自
ただ、作者の序文や、作中に引用されている詩など一部が省略されている。したがって、完訳とは言いがたい。フランケンシュタインに作られた人工生命を怪物だとか、クリーチャー、モンスターではなく、「巨人」と訳したところが斬新でよい。原題は「フランケンシュタインあるいは現代のプロメテウス」なのだがこのプロメテウスとはギリシャ神話に出てくるティターン族(=タイタン=巨人)だから、山本氏は「巨人」としたのだろう。ただ、後の改版では「巨人」ではなくなっていました。
このシュールレアリストである福沢一郎氏の描いた挿絵もよかった。

角川文庫1968
山本政喜 遠藤拓也/絵 角川文庫 1968
その後、角川でも出されました。同じ人が何度も翻訳するということはよくあることです。ただ、改定されて、平成の訳でも、訳自体はほとんど変わらず使われる言葉はまだ硬い印象があります。挿絵画家は版ごとに替わります。

角川文庫1994
山本政喜 角川文庫 改版 1994
ロバートデニーロの出演した映画の公開があり、装丁に映画の写真が使われた模様。同じく角川の人造人間ものアンソロジー「フランケンシュタインの子供たち」の編者、風間賢二がコメンタリーを書いており、「フランケンシュタインの子供」と合わせて読むとおもしろい。挿絵は童話の挿絵版画家として著名なリンド・ワード(Lynd Ward)の絵が使われていました。→同じ挿絵が使われていたため、澁澤龍彦訳のところで紹介します。
「おれは満足だ、みじめな男!おまえは生きる決心をかためたね、おれは満足だ」


マリー・シェリー (著) 宍戸儀一 日本共同出版(サスペンス/ノベル選集)1953
表紙の画像は見つからず。→図書館で見つけましたが、古すぎてやはり表紙は無い。
おそらく最初の完訳です。なかなかかっこよい、いい訳でした。怪物がフランケンシュタインに語り掛けるところで、自分を「わたし」と称するところがよい。怪物が最初に習ったのは、落ちぶれ貴族のフランス語である。田舎者の言葉ではない。だから、「おれ」などというはずがないのだ!また、そうすることで見かけとのギャップが生まれ、それが物語を重厚にする、「美女と野獣」のように。ただ、文章が   固いので、山本訳同様に合わない人にはお勧めしない。
はしがきに全訳としては私が最初だと豪語していたw
また、これ以後多くの訳者がこの目次を参考に訳しているようだ
錬金術にはまるフランケンシュタインの箇所
やはり本は紙で読むとわくわくするお♡
現在は青空文庫で読めます。http://www.aozora.gr.jp/cards/001176/files/44904_35865.html
ネットで手に入りコピペもらくらくで大変お世話になりました。(青空文庫では旧字体は直されています。ただ誤字が気になります。)

「おれは満足だよ、ざまを見ろ! おまえは生きる決心をしたね、それでこそおれは満足だよ。」


臼田 昭 加納光於/カバー絵 国書刊行会(ゴシック叢書6)1979
1818発刊の初版と1831の改訂版(第三版)との比較が細かく載っているらしいのでチェック!→読みたいけど、見つからない(´;ω;`)
→2018年7月に購入しました!

「おれは満足だよ、みじめなやつめ!生きる決心をしたんだな。おれは満足だ。」


森下弓子 創元推理文庫1984
ビブリオマニアで販売しています。
このころの創元推理文庫はあとがきのコメンタリーが良いと定評があります。また
、脚注もしっかりしている。
コメンタリーは新藤純子が書いています。風間さんのコメンタリーも踏まえており、よく研究している。映画「ブレードランナー」を”フランケンシュタインの子供”に加えたのはどうやら彼女が最初らしい。
こちらは彼女のブログ↓
http://sabreclub4.blogspot.jp/2015/03/blog-post_15.html
「満足したぞ、哀れなやつめ!生きることにしたのだな、おれは満足だ」




菅沼慶一 共同文化社2003
表紙の感じが好きです。
ちゃんと原作"Frankenstein; Or, The Modern Prometheus"通りのタイトルになっています。
「フランケンシュタインあるいは現代のプロメシュース」読んでみたいなぁ
→どこにあるのか全然見つからない


小林章夫 光文社古典新訳文庫 2010 原著第3版の翻訳
 「哀れなやつめ!生きることに決めたのだな。こちらはそれで満足だ」


芹澤恵 建石修志/カバー絵 新潮文庫2014
脚注がかなり親切で、出てくる引用や書物について簡単に説明がなされている。森下訳よりも、脚注が多い。訳も丁寧で英語の一つ一つの意味やニュアンスが込められています。
例えば、「いにしえのギリシャ人は、アジアの丘陵から地中海を望んだとき、自らの苦難の果てが見えたことに歓喜の声をあげ、喜悦の涙を流したと言います」この文章だけでは余程の教養人でなければなんのことかわかりません。ここに(紀元前四世紀、クセノフォンが一万のギリシア軍を率い、アルメニアの高地から撤退したときのことを指す)という脚注が付いているため、さらに調べるための手がかりとなります。

「それでいい、哀れな者よ。生きることにしたのだな。それでいい。おれは大いに満足だ」



田内志文 乃一ミクロ/カバー絵 須田杏菜/カバーデザイン 角川文庫 新訳2015
最新の翻訳です。
またまた角川文庫、推しますねぇ
訳者のブログです↓
http://blog.livedoor.jp/simon147/archives/43375183.html
新藤純子さんのコメントです↓
http://sabreclub4.blogspot.jp/2015/02/blog-post_23.html
「いいぞ、惨めな奴め!生きる覚悟をしたのだな、いいぞ」


グラフィック版 世界幻想名作集 世界の文学 別巻1 澁澤龍彦編 世界文化社 1979
なかなかにグロテスクな怪物
こちらは澁澤龍彦が編集した幻想文学アンソロジーでポーの「黒猫」や「ジキルとハイド」など含んでおり、抄訳ですが、澁澤龍彦の翻訳したフランケンシュタインが読めます!グラフィック版ではリンド・ワード(Lynd Ward)の挿絵やハマーフィルムの映画のシーンがダイナミックに楽しめるのでそういう点も良い。河出から文庫も出ています。コメンタリーは紀田順一郎が書いています。
ダイナミックでとてもよいLynd Ward挿絵














★ここまでまずは一通り翻訳本を紹介しました。

では、翻訳を比較してみましょう。


2018年2月14日水曜日

発掘するチョコ??!

みなさんは、バレンタインデーはいかがお過ごしでしょうか?


恐竜の化石(チョコ)を発掘!

【恐竜】最高級チョコレートを使った、割って!掘って!楽しむチョコレート★ジュラシックショコラ【ディグアップ】
というのをいただいたので、さっそく
紙袋から出すと、中から木製の本型の箱が

本の表紙をよくよくみると、恐竜の絵が・・!
箱を開けるとこんな感じで発掘道具と巨大なチョコレートが入っていました。


鎚で砕き、はけでチョコの粉をきれいに掃き出します





次第に現れてきた形、なんの恐竜だろうか?





















ティラノサウルスでした!!


中から出てきたティラノサウルスはスタッフが美味しくいただきました!!

ありがとう、しろわさびさん( *´艸`)