2025年12月7日日曜日

哲学するのに哲学書を読む必要あるか?

あなたの思う哲学とはなんですか?と問われた。

その方は哲学書などはあまり読んでおらず、そうした知識には詳しくない。けれども、その人なりにいろんな哲学的なことを考えているらしい。


さて、哲学とはなんなのか?


「哲学は馬である」これは誤っている。(あるいは比喩かもしれないが…どういう?w)

「哲学は馬ではない」これは正しい。


「哲学は考えることである」確かに哲学には考えることがありそうだ。


しかし、「今日は雨だから、傘を持って行った方がいいだろうか?」と考えることは哲学だろうか?


哲学は考えることであるが、考えることが哲学であるとは限らない。

まるっきりイコールということではなさそうだ。


しかしながら、このようにして切り詰めていくと究極、

「哲学は哲学である。」としか言いようがない。


しかし、それでは何も言っていない。

なぜなら、「AはAである」という文においてAに何を代入しても成立するからだ。


するとわかることは「AはBである」という文においては、それが確からしい文章であったとしても、Aは必ずBとは異なっていなくてはならない。そうでないと、言う意味がないから。


しかしながら、AとBとがとんでもなく違っていたらそれは誤った文だろう。Bが限りなくAに近いことを示すためにA’にしておこう。しかし、それでも同じである。「AはA’である」というときには、AとA’との間には必ずや何かしらの概念的なズレが生じているはずだ。

「AはA’である」


ところで、これらの私の考えは、哲学だろうか?


私はヘーゲルという哲学者の考え方をベースにしてこれらのことを考えている。だから、ヘーゲルの受け売りだと言われても仕方ない。


しかしながら、歴史上に残るこの哲学者の考え方をあなたは自力で編み出せるのだろうか?

編み出せるかもしれない。


最近、数学でマクローリン展開について詳しい人に教えてもらった。

自力だけで数学をやるとは、このマクローリン展開習わずに自分で発見するようなものだろう。

それをするには微積分を始め、数々の発見をしなくちゃならないが、そんなことはできるのだろうか?

「私は数学しますが、学には疎く習ったことがありません」と言って、マクローリン展開どころか微積分すらもわからなかったなら、どうだろうか?

確かに、足し算引き算から方程式程度まで自力だけでがんばったとしても、「え?数学してるのに微積分も知らないの?」とは言われそうではある。

哲学はどうだろうか?それよりも、まだマシにやれそうな気はするが、多くの人は足し算引き算止まりではないだろうか?それを一段上に引き上げるために、哲学書に(入門からでも)挑戦するのも良いのではないだろうか?

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