2016年4月27日水曜日

マジシャン映画の傑作「プレステージ」(後半よりネタバレあり)

オススメのマジシャンもの映画、プレステージ
私の中では、マジシャンものは、プレステージがダントツでナンバーワンのマジシャン映画でした。マジシャンものといえば、単なるトリックの見抜きあいや、科学と魔術の対比に終始するものが多いのですが、それだけでなく、物語構成といい、全体としてのメッセージ性、哲学性といい、申し分ないです。あらすじ:ヒュージャックマン演じる主人公アンジャーはクリスチャンベイル演じるライバル、ボーデンと師匠のもとでマジックの修行をしていた。ある日、マジックの失敗により、ボーデンは、水槽脱出マジックの助手をしていたアンジャーの妻を死なせてしまう。以後、アンジャーはボーデンを憎み、ボーデンの単独マジックを見抜いては邪魔をしたり、同じマジックを行ったりする。邪魔や見抜気合いは互いにやりあい、エスカレートする。しかし、ボーデンが行った瞬間移動マジックのトリックが見抜けず、アンジャーは本物の瞬間移動を成し遂げるために旅に出ます。そして、ついに瞬間移動を科学で成し遂げる実験を行うニコラステラというマッドサイエンティストと出会うのですが‥。

以下、ネタバレあり
「プレステージ」とは何か

2016年4月1日金曜日

サンタと私の希望

いつの間にか・・
小3の時、普通に信じていたが、サンタのくれたメッセージが日本語だったことに疑問を持った。また、ほかの友達にきたメッセージは英語だったので、余計に疑問を持った。
小4その年のクリスマスの夜、サンタに会おうと決心した。ダンボールの箱の中で(うちではクリスマスプレゼントは靴下や寝室ではなく居間にあるクリスマスツリーの下に置かれるのですが、)サンタを待っていたが寝てしまい,、失敗。
小5のとき、今度は居間の隣の部屋で布団に隠れながらサンタを待ち、父の歯磨きの音が止んだ後、物音がした。
布団から出て、そっと居間を覗いてみるとプレゼントはあったが、誰もいなかった。「サンタは父かも?」と言う懸念が頭を過ぎる。しかし、確信できず。
中学に入って3年間の間に弟が根拠もなくおそらく友達などに言われて「サンタはいない」と断言。
さらに、私はプレゼントの内容がだんだんと気に入らなくなっていった。中2の時のプレゼントが大きかったので期待を膨らませて開けると、なんと地球儀だったのだ!!弟なんかもっと酷いなんと・・なんとお菓子や箸、筆箱である。
弟は友達に「クリスマスプレゼントなんだった?」って聴かれる度に苦痛を感じたそうだ。
親は親で「我が家は本当はキリスト教じゃないから(とかサンタを信じないからとか、いい子にしないから、等その時々で理由をつけて)サンタクロースは来ないんだよ。でもそれじゃあかわいそうだからお父さんが代わりに買っているんだよ」   っっっってバラしてる!!
そんなわけで夢は壊れたわけ、、でも僕が本当のほーんとーに確信したのは高校に入って最初のクリスマスにクローゼットにプレゼント
に隠してあるのを見つけてからなのです。ここで初めて「やはり両親がサンタだったのか」と確信しました。
しかし、確かに家では親がサンタの代わりをしているが、僕が小3の時はどうだったか分からないし、本当のクリスチャンの家には来るのかも知れないと思っています。

ここで一言:あの太陽の輝く遥か彼方に、私の最もあこがれている何ものかがあります。たとえ、そこに達することが出来なくても、私は頭を上げてその美しさを眺め、そこにあると信じ、その指差す方向へついて行くことができるのです。ルイザ・メイ・オールコット

インターステラーのマーフィーとは?

クリストファーノーラン監督作の「インターステラー」という映画がある。この映画「インターステラー」において主人公クーパーの娘の名前をマーフィーという。マシューマコノヒーの演じる宇宙飛行士でも科学者でもある主人公クーパーは、「マーフィーの法則」にちなんで娘を「マーフィー」と名付けた。

「マーフィーの法則」とは「失敗する可能性のあるものは、失敗する。」に代表されるユーモラスな諸経験則であり、主に次のようなものがある。

*「いくつかの方法があって、1つが悲惨な結果に終わる方法であるとき、人はそれを選ぶ」
*「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」
*「洗車しはじめると雨が降る。雨が降って欲しくて洗車する場合を除いて。」

基本的な法則は次のようなものである。「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」他の諸法則はこの法則が分化してできたものらしい。

映画では、「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」でマーフィーは兄弟にからかわれていた。
それでマーフィーは怒って、父であるクーパーに聞いた。
「なんでこんな名前にしたの?」って。

トーストが高級なカーペットに落ちるとき、人は「バター塗ったほうを下にして落としたくない」と強く思う。
→俗に最近の言葉では「フラグがたつ」とか言う。
→そう強く危惧していたことほど、実際におきてしまう(つまり、恐れていた通り実際にバターを塗ったほうを下にして落としてしまうのだ)。

だから、フランスやイギリスじゃあ似たような事象を「くそったれの法則」'Sod's Law'"La loi d'emmerdement maximum" と呼ぶww

また、人はよくないことが起きるときのほうが、よいことが起きるときよりも強い印象を受ける。

そうして、その強い印象ばかりが記憶に残っていくので、経験としてはそうした強い印象ばかり集まり、「マーフィーの法則」ができあがるわけだ。

つまり、実際はバターを塗ったほうを下にして落とすことは少なかったとしても、下にして落とす事例のほうが残念に感じて印象に残るために、そのような法則ができあがるのだ。(ちなみに実際に行われた実験ではカーペットの値段には関係なく、バターを塗った面を下にして落とす確率が高いことが分かっている。)

こうして心理学や統計を駆使して考えると、「マーフィーの法則」はおよそ科学的にはあほらしいことばかりである。
しかし、それでもそうした何かの偶然的に見えるなんの関係もなさそうな事象(バターパンとカーペットの値段の関係)であっても、それは一つの法則なのだと法則を見出してしまうのが「マーフィーの法則」なのである。

マーフィーの法則には二つの側面がある。この法則はある真実と言うよりかは、ある種の教訓や注意のようなものである。

A「想定(危惧)しているおよそずべてのことは実際に起きてしまう」

B「まったく関連のないところにも思いもよらない関連がありうる。」

A
およそ想定しうる最悪の事態は、実際に起きる。
最初にマコノヒーがマーフの担任と口論したり、地球の滅亡、最初の星で何も得られていないのにも関わらずの時間のロス、プランAはそもそも不可能であること、宇宙船母船の破損や計画創始者による裏切りなど、およそ起こりうる最悪の事態が起きている。しかし、地球は滅亡は、およそ想定だにされなかったようなこと、つまりはマーフィーの法則を超えたところに解決がある。これが法則の側面Aの側からみたインターステラーである。

B
ところが地球は滅亡は、およそ想定だにされなかったようなことによって解決する。
マーフィーの法則Aを超えたところ、マーフィーの法則Bの中に解決がある。
つまりは未来の5次元空間と、マーフィーによる「マーフィーの法則」的な本棚の異変(本棚にあるものに現れるメッセージ)を関連するものとして解釈し、それを受け取ることで宇宙の法則を解いてしまうというおよそ科学的には想像だにされぬような解釈。

それを描くのがこのインターステラーではないだろうか??