君は、弁論や作文なんかでテーマを自由に決めたらいいって言われて困ったことはないか?
俺は中学生のときに弁論の機会があり、こういうテーマで弁論したかったが、教師に却下されてしまった。
『
テーマ「セクハラをする教師摘発はなぜ難しいか」
テーマ「生徒会が学校の雑務などに従事し、形骸化していることについて」
テーマ「学校が不祥事を隠蔽することの利点」
テーマ「道徳教育とは何か」
テーマ「総合学習の時間の使い方について」
テーマ「大人がしていいことを子供がすると非行と言われ、してはいけない理由は何か?」
テーマ「なぜ人を殺してもいいのか」
テーマ「なぜ子供は子供らしく無邪気で楽しそうに振舞わなくてはならないのか?」
テーマ「子供と大人の違いは何か?我々が子供か大人かの差別を不当に受けているのはなぜか」
テーマ「子供が弁論にて扱うテーマの不適切性の基準」
自分で弁論のテーマを考えろと言いながら、以上の考えたテーマを教師が検閲し、すべてを却下したのはなぜか』
だが、こうしたテーマ、三島由紀夫が校長なら賛同してくれると思う。
弁論なんて、テーマが自由なら、自分がまじに直面している問題だと思っていることをやったらいいと思う。論破したくなるから、徹底的に調べ上げて、考え抜いて、やり遂げられると思う。
内容も問われるかもしれないが、論理性、表現力、研究の緻密さが大事だと思うから。
数学が嫌いなら、テーマ「数学はなぜやらなくてよいか」が最も熱くなる。
まあ、確かに弁論の内容からその人の人間性を見られることがたくさんある。
しかし、そんな卒業しないうちから、他人の評価を気にし過ぎてたら、自分を見失っていくと思う。
ここで俺があげるテーマは参考程度にして、それに惑わされずに、あるいはその中で気になったものに注目しながら、自分自身と向き合ってテーマを自分から、なんとかしてえぐり出したらがいいと思う。
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