2018年2月23日金曜日

フランケンシュタイン翻訳本リスト(刊行200周年記念読書会に向けて)


今年はなんと
"Frankenstein; Or, The Modern Prometheus"
通称「フランケンシュタイン」の刊行200周年です!
あまりに有名な作品だけに逆にちゃんと読んだことがない人が多いと思われます。これを機会にみなさんも読んでみましょう。

「一般的には恐怖小説に分類される本書だが、読んで感じるのはおぞましさやおどろおどろしさよりも、圧倒されるほどの哀しみだ」新藤純子


「この物語のできた動機は、前にも言ったように、俗悪な面白くない幽霊物語に対抗して、面白くて本当に文学的な幽霊物語を書くことにあった。」山本政喜

そこで名古屋市の特殊書店ビブリオマニアにて、3/11フランケンシュタイン読書会を開きます。https://twitter.com/KeinWeg/status/963100058932592640
→特殊書店ビブリオマニアって??→https://bibliomania-books.com

・・・・だが、まずは読むといってもどの訳本で読んだらいいのか。
翻訳まとめて比較読み!!
…はさすがに大変なのでww、
フランケンシュタインの翻訳本のリストを作成しました。
参考にしていただけたらと思います。
{表紙写真、訳者名、挿絵画家、出版社、シリーズ名、出版年、コメント、一文の翻訳}
で出版順に掲載しました。同じ訳者はまとめて掲載します。

山本政喜 福沢一郎/絵 新人社 「巨人の復讐―フランケンシュタイン」 (世界大衆文学全集〈第11〉)1948
この本が探した中で一番古い翻訳本と思われる。
目次の小タイトルが独自
ただ、作者の序文や、作中に引用されている詩など一部が省略されている。したがって、完訳とは言いがたい。フランケンシュタインに作られた人工生命を怪物だとか、クリーチャー、モンスターではなく、「巨人」と訳したところが斬新でよい。原題は「フランケンシュタインあるいは現代のプロメテウス」なのだがこのプロメテウスとはギリシャ神話に出てくるティターン族(=タイタン=巨人)だから、山本氏は「巨人」としたのだろう。ただ、後の改版では「巨人」ではなくなっていました。
このシュールレアリストである福沢一郎氏の描いた挿絵もよかった。

角川文庫1968
山本政喜 遠藤拓也/絵 角川文庫 1968
その後、角川でも出されました。同じ人が何度も翻訳するということはよくあることです。ただ、改定されて、平成の訳でも、訳自体はほとんど変わらず使われる言葉はまだ硬い印象があります。挿絵画家は版ごとに替わります。

角川文庫1994
山本政喜 角川文庫 改版 1994
ロバートデニーロの出演した映画の公開があり、装丁に映画の写真が使われた模様。同じく角川の人造人間ものアンソロジー「フランケンシュタインの子供たち」の編者、風間賢二がコメンタリーを書いており、「フランケンシュタインの子供」と合わせて読むとおもしろい。挿絵は童話の挿絵版画家として著名なリンド・ワード(Lynd Ward)の絵が使われていました。→同じ挿絵が使われていたため、澁澤龍彦訳のところで紹介します。
「おれは満足だ、みじめな男!おまえは生きる決心をかためたね、おれは満足だ」


マリー・シェリー (著) 宍戸儀一 日本共同出版(サスペンス/ノベル選集)1953
表紙の画像は見つからず。→図書館で見つけましたが、古すぎてやはり表紙は無い。
おそらく最初の完訳です。なかなかかっこよい、いい訳でした。怪物がフランケンシュタインに語り掛けるところで、自分を「わたし」と称するところがよい。怪物が最初に習ったのは、落ちぶれ貴族のフランス語である。田舎者の言葉ではない。だから、「おれ」などというはずがないのだ!また、そうすることで見かけとのギャップが生まれ、それが物語を重厚にする、「美女と野獣」のように。ただ、文章が   固いので、山本訳同様に合わない人にはお勧めしない。
はしがきに全訳としては私が最初だと豪語していたw
また、これ以後多くの訳者がこの目次を参考に訳しているようだ
錬金術にはまるフランケンシュタインの箇所
やはり本は紙で読むとわくわくするお♡
現在は青空文庫で読めます。http://www.aozora.gr.jp/cards/001176/files/44904_35865.html
ネットで手に入りコピペもらくらくで大変お世話になりました。(青空文庫では旧字体は直されています。ただ誤字が気になります。)

「おれは満足だよ、ざまを見ろ! おまえは生きる決心をしたね、それでこそおれは満足だよ。」


臼田 昭 加納光於/カバー絵 国書刊行会(ゴシック叢書6)1979
1818発刊の初版と1831の改訂版(第三版)との比較が細かく載っているらしいのでチェック!→読みたいけど、見つからない(´;ω;`)
→2018年7月に購入しました!

「おれは満足だよ、みじめなやつめ!生きる決心をしたんだな。おれは満足だ。」


森下弓子 創元推理文庫1984
ビブリオマニアで販売しています。
このころの創元推理文庫はあとがきのコメンタリーが良いと定評があります。また
、脚注もしっかりしている。
コメンタリーは新藤純子が書いています。風間さんのコメンタリーも踏まえており、よく研究している。映画「ブレードランナー」を”フランケンシュタインの子供”に加えたのはどうやら彼女が最初らしい。
こちらは彼女のブログ↓
http://sabreclub4.blogspot.jp/2015/03/blog-post_15.html
「満足したぞ、哀れなやつめ!生きることにしたのだな、おれは満足だ」




菅沼慶一 共同文化社2003
表紙の感じが好きです。
ちゃんと原作"Frankenstein; Or, The Modern Prometheus"通りのタイトルになっています。
「フランケンシュタインあるいは現代のプロメシュース」読んでみたいなぁ
→どこにあるのか全然見つからない


小林章夫 光文社古典新訳文庫 2010 原著第3版の翻訳
 「哀れなやつめ!生きることに決めたのだな。こちらはそれで満足だ」


芹澤恵 建石修志/カバー絵 新潮文庫2014
脚注がかなり親切で、出てくる引用や書物について簡単に説明がなされている。森下訳よりも、脚注が多い。訳も丁寧で英語の一つ一つの意味やニュアンスが込められています。
例えば、「いにしえのギリシャ人は、アジアの丘陵から地中海を望んだとき、自らの苦難の果てが見えたことに歓喜の声をあげ、喜悦の涙を流したと言います」この文章だけでは余程の教養人でなければなんのことかわかりません。ここに(紀元前四世紀、クセノフォンが一万のギリシア軍を率い、アルメニアの高地から撤退したときのことを指す)という脚注が付いているため、さらに調べるための手がかりとなります。

「それでいい、哀れな者よ。生きることにしたのだな。それでいい。おれは大いに満足だ」



田内志文 乃一ミクロ/カバー絵 須田杏菜/カバーデザイン 角川文庫 新訳2015
最新の翻訳です。
またまた角川文庫、推しますねぇ
訳者のブログです↓
http://blog.livedoor.jp/simon147/archives/43375183.html
新藤純子さんのコメントです↓
http://sabreclub4.blogspot.jp/2015/02/blog-post_23.html
「いいぞ、惨めな奴め!生きる覚悟をしたのだな、いいぞ」


グラフィック版 世界幻想名作集 世界の文学 別巻1 澁澤龍彦編 世界文化社 1979
なかなかにグロテスクな怪物
こちらは澁澤龍彦が編集した幻想文学アンソロジーでポーの「黒猫」や「ジキルとハイド」など含んでおり、抄訳ですが、澁澤龍彦の翻訳したフランケンシュタインが読めます!グラフィック版ではリンド・ワード(Lynd Ward)の挿絵やハマーフィルムの映画のシーンがダイナミックに楽しめるのでそういう点も良い。河出から文庫も出ています。コメンタリーは紀田順一郎が書いています。
ダイナミックでとてもよいLynd Ward挿絵














★ここまでまずは一通り翻訳本を紹介しました。

では、翻訳を比較してみましょう。



●chapter5(第一巻第五章)の生命創造の翻訳比較です。


It was on a dreary night of November that I beheld the accomplishment of my toils. With an anxiety that almost amounted to agony, I collected the instruments of life around me, that I might infuse a spark of being into the lifeless thing that lay at my feet. It was already one in the morning; the rain pattered dismally against the panes, and my candle was nearly burnt out, when, by the glimmer of the half-extinguished light, I saw the dull yellow eye of the creature open; it breathed hard, and a convulsive motion agitated its limbs.

(1818年版ではChapter IV でした。特に改定はありません)

十一月のあるものさびしい夜に、私は、自分の労作の完成を見た。ほとんど苦悶に近い不安を感じながら、足もとによこたわる生命のないものに存在の火花を点ずるために、身のまわりに、生命の器具類を集めた。もう午前の一時で、雨が陰気に窓ガラスをぽとぽと打ち、蝋燭はほとんど燃え尽きていたが、そのとき、冷えかけた薄暗い光で、その造られたものの鈍い黄いろの眼が開くのが見えた。それは荒々しく呼吸し、手足をひきつるように動かした。

(宍戸儀一訳)

十一月のあるものさびしい夜に、私は私の労作の完成を見た。殆ど苦悶に達するほどの不安を感じて、足もとに横たわっている生命のないものに、生命の火花を点ずるために、私のまわりに生命を與える道具をとりあつめた。既に朝の一時で、雨がものさびしく窓ガラスをうちつけており、蝋燭は殆ど燃えつきていた。その時半ば消えかけた光で、その造られたものの鈍い黄色の眼が開くのが見えた。それは強く呼吸した、手足がひきつるように動いた。

(山本政喜訳)



わびしい11月のことでした。わたしは労苦の完成を目にしたのです。ほとんど苦悩ともいえる心配を感じながら、生命の道具をまわりに集め、自分の足もとに横たわっている、生命の通わぬものの中に、存在の火花を送りこもうとしたのです。もう夜中の一時でした。雨は陰気に窓ガラスを打ち、ろうそくはほとんど燃えつきていました。そのとき、なかば消えかけの定かならぬ光で、あいつのどんよりした黄色の目が開くのが見えたのです。あいつは苦しそうな吐息をつき、手足がぴくぴく痙攣するように動きました。
(臼田昭訳)

わたしが労苦の完成を見たのは、十一月のとあるわびしい夜のことでした。苦しいほどの熱意に駆られ、わたしは足もとに横たわる命のない物体に生命の火花を吹きこむべく、生命の器械をまわりに集めました。すでに午前一時。雨がぱらぱらと陰気に窓を打ち、蝋燭は今にも燃えつきようとする、そのとき、なかば消えかけた微かな光に、わたしは生き物のどんより黄色い目がひらくのを見たのです。それは重たく息をつき、痙攣が手足を走りました。

(森下弓子訳)

一一月のうら寂しい夜のことでした。苦労の成果を目にするときがやってきました。(中略)すでに時間は午前一時。陰鬱な雨が窓を叩き、ろうそくの火も消えようとしていたとき、半分消えかかった炎によってその物体の鈍く黄色い目が開くのを目にしたのです。

(小林章夫訳)


それは十一月のとある寒々しい夜のことでした。それまでの苦労が実を結ぶところを、ついに眼にするときがやってきたのです。募る不安は肉体的な苦しみの域にまで達しようとしていましたが、わたしは生命を吹き込むための道具を取り揃え、足元に横たわる物体に生命の火花を注入しようとしていました。時刻は午前一時をまわろうとしています。雨が陰気に窓を打ち、蝋燭は今にも燃え尽きようとしていたそのとき、半ば消えかけたその不確かな明かりのなか、足下に横たわった物体のくすんで黄味がかった瞼が、まずは片方だけ開くのが見えたのです。

(芹澤恵)


私の苦心がようやく実りを迎えたのは、十一月のうら寂しいある夜のことでした。苦しみと見まがうほどに募らせた不安を胸に、私は生命の機器を周りに並べ、足下に横たわる命無き物体に生命の火花を注ごうとして時はすでに午前一時。窓にぱたぱたと陰鬱な雨音が鳴り、蝋燭は今にも燃え尽きようとしていましたが、半ば消え入りかけたその灯りの中に、物体がその澱んだ黄色い瞳を開くのが見えたのです。

(田内志文訳)

ある十一月の物さびしい夜に、とうとう私の苦心の作品は完成した。すでに朝の一時で、雨がさびしく窓ガラスを打っており、蝋燭はほとんど燃えつきていた。その半ば消えかけた光のなかで、私の創った人間の黄色い眼がゆっくりと開き、胸が呼吸でふくらみ、手足がぴくりと動き出したのである。

(澁澤龍彦訳)

つづいて、


●chapter 13(第二巻第五章)の怪物の告白の一文を比較します。


まずは英語の原文です。


Was I, then, a monster, a blot upon the earth, from which all men fled and whom all men disowned?



“I cannot describe to you the agony that these reflections inflicted upon me; I tried to dispel them, but sorrow only increased with knowledge. Oh, that I had for ever remained in my native wood, nor known nor felt beyond the sensations of hunger, thirst, and heat!

“Of what a strange nature is knowledge! It clings to the mind when it has once seized on it like a lichen on the rock. I wished sometimes to shake off all thought and feeling, but I learned that there was but one means to overcome the sensation of pain, and that was death—a state which I feared yet did not understand. 
(1818年版ではChapter V 130)
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「それならわたしは、人間がみな自分から逃げ出し自分を寄せつけないような、ひとつの怪物、地上の汚点なのであろうか。

 こういった反省がわたしに与えた苦悩は、お話のしようもなく、それを払いのけようとしたが、知識が深まるにつれて悲しみは増すばかりであった。ああ、最初の土地の森にいつまでも居たら、飢え、渇き、寒暑の感覚以上のことを知りも感じもしなかったのに!


 ものを知るということは、なんとおかしな性質のものだろう! それは、ひとたび心を捉えたとすれは、岩についた苔のように心に纏いついてくる。わたしはときどき、あらゆる思想と感情を払いのけようとおもったが、苦痛の感じに打ち克つには、たった一つの手段しかない――それは死である、ということを知ったが、わたしの恐れたこの死というものがどんなものかは、まだわからなかった。」

(宍戸儀一訳)
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「 こういう反省の私に与えた苦悩はお話のしようもない。それをふり払うように努力したが、事情がわかるにつれて悲哀が増すばかりであった。おお!いつまでも最初の森の中にいたら、そして空腹とかわきと寒暑の感覚以外のことは知らず感じないでいたらよかったのに!

 知識とはなんという奇妙な性質のものであろう!それは、ひとたび頭をとらえたならば、岩についた苔のように、頭にこびりついてくる。私はときどき、あらゆる考えと感情をふりすてたいと思ったが、苦痛感を征服するにはただ一つの手段しかない。そしてそれは死である、ということを知ったーその死とはどういうものか、私にはまだわからなかった。」

(山本政喜訳)
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 「それじゃ、おれは怪物なのか?この世の汚点(しみ)なのか?みんなが逃げ出し、かまってくれる人もないような!
「こういうことを考えると、どれほど心が悩んだか、言葉では言い表わせない。その思いを心から追う払おうとしても、知識が増せば増すほど、悲しみが大きくなるのだ。おお、ずっとあのまま、故郷の森の中にいて、飢えと渇きと暑さの感覚以上のものは、知りも感じもしなければよかったのに!

「知識とは、なんと妙な性質のものだろう!いったん心を捕らえたとなると、それは岩についた苔のように、しがみついて離れない。ときとして、あらゆる考えや感情をかなぐり捨てたくなることもあったが、苦痛の感覚を克服するには、方法はただひとつ、死ぬことだとわかった―そしてその死という状態を、おれは恐れてはいたものの、理解はしていなかったのだ。
(臼田昭訳)
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それでは自分は怪物なのか。大地のしみ、人はみなおれから逃げだし、誰もがおれを打ち棄てるのか?

「そうした思いに自分がどれだけ苦しめられたか、とても言葉で語れはしない。ふりはらおうと努めても、知識とともに悲しみはつのるばかりだった。おお、生まれた森に永遠にとどまっていたらよかったのだ、飢えと渇きと暑さとの感覚以外、何も知らず、感じもせずに!


「知識とはなんと不思議なものなのだろう。いったん心にとりつくと、岩についた苔のようにこびりついて離れない。ときには思考も感情もいっさいがっさい投げ捨てたくなることがあったが、わかったことは、苦痛に打ちかつ道はただひとつ、死しかないということだった―死という状態は、恐ろしいが理解のおよばぬものだった。
(森下弓子)
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では自分は怪物で、この地球上の穢れなのか?だから、誰もがおれから立ち去り、誰もがおれを捨てるのか?

 こう考えたときに、自分がどれほどつらかったか、おまえには説明できないほどだ。頭から振り払おうとしても、悲しみが増すだけだった。こんなことなら、生まれた森に留まって、飢えや渇き、暑さ以外に何も感じないでいたほうがどれほどよかったことか!


 知識とは何と不思議なものだろう!これがいったん頭に入ると、岩の苔のようにこびりついたままなのだ。いろいろな考えや感情を振り払えればいいと思ったこともある。しかし、やがて、この知識がもたらす痛みに打ち勝つには、一つしか方法がないらしいことがわかってきた、死だ。死?おれにとって死とは、怖いがよくわからないものだった。

(小林章夫訳)
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「それならば、おれは怪物なのか?この世の穢れなのか?だから、誰もが逃げ出し、誰もがおれを見捨てるのか?

 そう思うと、どれほど心が痛んだか、いくら話して聞かせたところで、わかりはしないだろう。そんな考えは、頭から振り払おうとしたが、知識が増えるほどに悲しみも大きくなるのだ。こんなことなら、おれにとっては生まれ故郷のあの森にとどまって、餓えや渇きや暑さ以上のものは何も感じず、何もわからないままでいたほうが、どれほどよかったことか!


 知識というのは実に不思議なものだな。いったん頭に入ってしまうと、岩に生える苔のようにこびりついたままになる。ときどき、頭に浮ぶ考えや心に宿る感情を全部振り払いたくなったよ。だが、じきにわかった。知識がもたらしたこの苦しみを克服する手立てはひとつしかないー死んでしまうことだ。おれにとって死とは、恐ろしくあるがよくわからないものだった。」

(芹澤恵訳)
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ならば俺は、怪物なのか?男も女も逃げ出す、地上に染みついた穢れだとでもいうのか?

 そんなことを考えて俺がどれほどまでに苦しんだか、語る言葉など見つかるものか。追い払おうとしたところで、知るほどに悲しみは膨れあがるばかりなのだからな。こんなことなら初めに目覚めたあの森に留まり、飢えと渇きと暑さより他にはなにも知らぬままでいたほうがどんなによかったか!


 知識とは、なんと不思議なものだ!ひとたび心に取り憑くと、まるで岩に貼り付く苔のように剥がれようとしないのだからな。時おり思考も感情もなにもかも振り捨てたくなったが、その痛みから逃れるにはただひとつ、死という道しか無いのだと俺は知った―俺には分からぬ、恐ろしいものだ。

(田内志文訳)
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●chapter 10 (第二巻 第二章)の怪物の懇願を翻訳比較します。

But hear me. The guilty are allowed, by human laws, bloody as they are, to speak in their own defence before they are condemned. Listen to me, Frankenstein. You accuse me of murder, and yet you would, with a satisfied conscience, destroy your own creature. Oh, praise the eternal justice of man! Yet I ask you not to spare me; listen to me, and then, if you can, and if you will, destroy the work of your hands.”

But hear me. The guilty are allowed, by human laws, bloody as they may be, to speak in their own defence before they are condemned. 

(1818年版ではChapter II 104であり、mayが入っていた)

「私の話を聞いてください。人間の法律によれば、いくら血を浴びた犯罪者でも、罪の宣告を受ける前に、自分を擁護するために話をすることを許されているはずです。お聞きなさい、フランケンシュタイン。あんたは人を殺したといってわたしを責める。それなのにまた、良心を満足させながら、自分の造ったものを殺したがっている。おお、人間の永遠の正義をほめたたえよ、ですよ! といって、わたしを見のがしてくれというのじゃなく、わたしが言うのを聞いてくれというのです。
そのうえで、できることなら、また、そうしようと思うのだったら、あんたの手でこしらえたものを滅しなさい。
(宍戸儀一訳)

「おれの話を聞いてください。おれの話を聞いたうえで、あなたの判断にしたがって、見すてるなり、同情するなりしてくださいよ。人間の法律によれば、いくら残忍な犯罪者でも、宣告を受ける前に、自分の擁護のため抗弁することを許されています。おれの話を聞いてくださいよ、フランケンシュタイン。あなたはおれを殺人のかどでせめられるが、しかもあなたは自分のつくったものを破壊しても良心を満足させていられる。おお、人間の永遠の正義をほめたたえよ!だがおれはおれを見のがしてくださいというのじゃない、おれの話を聞いて、それからもしできるなら、もしそうしようと思うなら、あなたの手でこしらえたものを破壊しなさい」
(山本政喜訳)

「だがまず聞いてくれ。血みどろの罪人でも、人の掟では、死刑の宣告を受ける前に自分を弁護することが許されているじゃないか。話を聞いてくれ、フランケンシュタイン、あんたはおれを人殺しだと言う。そのくせ自分じゃ、自分の創った生き物を殺めて、良心の痛みを感じない。おお、人間の永遠の正義よ、ほむべきかな、だ!だが命は乞わぬ。おれの話を聞いてくれ、そのあとで、やれるものなら、そしてやりたいなら、その手で創ったものを滅ぼすがいい」
(森下弓子訳)


「ともかく聞いてもらいたいのだ。人間の法律では、たとえ血にまみれた罪を犯しても、判決の前に弁明が許されているというではないか。
 フランケンシュタイン、おれの話を聞け。おまえはおれを人殺しと非難するが、それでいて自分がつくったものを破壊しようとし、良心の呵責を感じない。まったく人間の永遠の正義とは大したものだ。だが、おれは助けてくれと言うのではない。ただ話を聞いて欲しいのだ。そしてその後に、おまえにできるのなら、おまえが望むのなら、自分でつくったものを破壊させるがいい」
(小林章夫訳)

「だが、まずはともかく聞いてくれ、おれの話を。人間の世界の法律では、たとえ血塗られた罪を犯した者でも、刑の宣告を受けるまえに弁明の機会が与えられるというではないか。おれの言うことに耳を貸してくれ、フランケンシュタイン。おれのことを人殺しと難じておきながら、おまえはその手で自ら創り出したものを平然と殺そうとしている。良心の呵責すらなく、平然と。まったく大したものだな、人間の不屈の正義というやつは。だが、勘違いするな、おれは生命乞いをしようというのではない。ただ話を聞いてほしいのだ。そして、そのあとで、それでもできるものなら、それでもやはりそうしたいというのなら、その手で創ったものを滅ぼすがいい」
(芹澤恵訳)

「だからまずは聞いてくれ。人の法では極悪非道の罪人だろうと、刑を受ける前には釈明が許されているではないか。さあ聞いてくれ、フランケンシュタインよ。おまえは俺を人殺しだと咎めるが、なのに良心の呵責もなく、自ら生み出した俺を屠ろうとする。やれやれ、それが人の持つ普遍の正義というものか!だが俺は命乞いなどせんぞ。まずは俺の話を聞き、それでも俺を殺めることができるならば、殺めたいと願うのならば、その手でそうしてみせるがいい」
(田内志文訳)



フランケンシュタインの翻訳本まとめいかがでしたか?(訳本が手に入り次第、随時更新します)
ぜひに読んで読書会に参加しましょう。
https://twitter.com/KeinWeg/status/963100058932592640

参考サイト

オリジナルはグーテンベルグを使いました。
松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/0563.html

メアリーシュリーの訳本まとめサイト

http://ameqlist.com/sfs/shelley.htm#shinjins01




児童文学は別でリスト化しました



矢野浩三郎 柳柊二/カバー絵 原田維夫/挿絵 朝日ソノラマ (少年少女世界恐怖小説5)1972
児童文学


治村輝夫 東洋文化社 (イギリス幻想文学1世界民話童話翻訳シリーズ)1981
児童文学


高木 彬光 伊藤幾久造/絵 偕成社(改定新版 少年少女世界の名作 12)1982
児童文学
山主 敏子 /訳・文, レオ・沢鬼 /絵   金の星社(世界こわい話ふしぎな話傑作集1イギリス編)1984
児童文学









飯豊 道男 (著),‎ 福田 岩緒 (イラスト)(ポプラ社文庫―怪奇シリーズ (31)) 新書 1985




M・シェリー /作, L・ワインバーグ /文, 清水 奈緒子 /訳, 郭 京一 /絵 金の星社(ドキドキミステリーランド)1991
児童文学



吉上恭太 千葉 淳生/絵 集英社(子供のための世界文学の森)1996
児童文学
山中恒/文・訳 高橋常政/絵 講談社(痛快世界の冒険文学03)1997
児童文学
メアリーシュリーのフランケンシュタインへ入り込むための全然異なる導入の物語が最初の100ページ続きます。
すでに原作を読まれた人にお勧めです。
絵がかっこいい。

山主敏子 スズキコージ/絵 金の星社(フォア文庫)1998
児童文学
スズキコージが挿絵描いてるww



加藤まさし 高田勲/絵 講談社青い鳥文庫 2001
児童文学

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