2025年7月10日木曜日

海の上のピアニストは、海に出たことがない大哲学者だった!? 〜1900とカントの伝説〜


「月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり、船の上に生涯を浮べ、馬の口とらえて老いを迎える者は日々旅にして旅を住処(栖)とす。」『奥の細道』松尾芭蕉

映画「海の上のピアニスト」を見たことがあるだろうか?1900年に生まれたゆえに《ナインティーンハンドレッド》と名付けられしピアニストの男は、幼い頃から死ぬまで船の中で暮らし、決して船から降りて陸地へと旅立つ事はなかった。だが、彼は船の外の世界ことにも関心がないわけではなかった。むしろとても気にはなっていたであろう。だが、それらを実地で歩いて、知ろうとはしなかった。

ただ彼は、一度だけ、陸地に旅立とうとしたことがある。しかし、彼は船と陸とを繋ぐタラップの上で陸地を目の前にして尻込みし、こう考えたのだ。


「ピアノは違う。鍵盤は端から始まり端で終わる。鍵盤の数は88と決まってる 無限じゃない。弾く人間が無限なんだ。人間の作る音楽が無限。そこが好きだ……タラップから見えたのは何千何億という鍵盤だった。無限に続く鍵盤 人間が弾ける音楽は無い。神のピアノだ……」


彼は陸地の大きさを目の当たりにして船から陸地へと降り立つことを自らの意志で断念したのだ。


私はこれらの話を見て、18世紀のドイツの哲学者カントを思い出す。


哲学者カントもまた、彼の生地、ケーニヒスベルク(当時はプロイセン、現ロシア領)から外に出る事はなかった。

カントは、1724年、今から3百年前に生まれた。18世紀の哲学者だ。その百年ほど前、1642年、ガリレオが死に、ニュートンが生まれたと言えば、どのくらいの時代かくらいはちょっとイメージできるだろうか?

カントは生地から出なかったが、外の世界に大いなる関心を寄せていた。根っからの学者であるカントは哲学のみならず、地理学においても、天文学においても、業績を残している。地球の神秘や宇宙の神秘、果ては世界そのものの始まりにまで関心を寄せていた。彼はたとえばはるか遠くスペインで大地震が起きた時、関心を持って地理学を研究し始めるが、ただ調査はしても踏査(実地調査)は決してしないというふうであった。その点では、各国を旅したデカルトなど他の哲学者とは大違いだった。

いや、カントはとても慎重深かったのかもしれない。彼の書いた哲学の大著『純粋理性批判』には次のようなことが書いてある。


「我々がいるところ、この宇宙全体、それはいわば、真理の島国である。しかし、霧と氷山の浮かぶ荒波の海がこれを囲んでいる。霧の中からあらわれた氷山が新しい島かと思いきやたちまち蜃気楼のように消え失せてしまう。それは新たな発見を求めて旅する航海士をはかない希望を持たせて誘惑しつつも迷い込ませるのである。われわれはこの大海原を余すところなく探索する前に、地図を手に取り、よくよく考えるべきなのだ。」

そして、彼は、慎重に吟味するものの結局は街から出ることはなかった。


それはある意味では、彼の哲学にも表れている。

たとえば、彼は、この大宇宙の始まりはあるのか?という神秘については、どちらも反駁できるために、決してわかることがないと結論づけている。ようするに、海の上のピアニストにとって大地はあまりにも手に余る無限の鍵盤なのである。


そしてまた、カントは我々人間自身の認識の限界を見極めている。つまりは、ピアノの鍵盤は全部で88と決まっているように、人間には初めから感性と知性の両方が備わっており、それによって限界が決まっているのである。

にも関わらず、我々は行けもしない全宇宙、この世界の限界、”超越的なもの”について想いを馳せるのである。

カントは、確かに自身の認識能力の限界を見極めるのだが、だが、それはどうやってやるのか?認識能力で認識能力自身の限界を見れるのはどうしてなのか?だって、限界の外から眺めなければ、限界を見極められないのではないのか??認識能力と超認識能力(理性)との境界にある線を見るには、どちらも眺められなければならないはずだ。

もしそうなら、限界の外から眺められたことになり、限界ではなかったことになるのではないのか??あるいは、その限界の認識そのものが認識足り得ないということに結論づけられてしまうのではないのか?

カントは、この奇妙なメタ視点をtranszendental「超越論的(先験的)」と呼び、”超越的なもの”(transzendent)と区別した。

これはいわば、無限の鍵盤と88の鍵盤との差異なのである。88の鍵盤でも、そこから無限に音楽が生み出せるのに似ている。

あくまでも人間の位置に立ちながらも、すんでのところまで超えようとするギリギリな感じ。

それがカント、真理を求める海の上のピアニストなのである。



『海の上のピアニスト』原文

 Take a piano. The keys begin, the keys end. You know there are 88 of them and no-one can tell you differently. They are not infinite, you are infinite. And on those 88 keys the music that you can make is infinite. I like that. That I can live by. But you get me up on that gangway and roll out a keyboard with millions of keys, and that's the truth, there's no end to them, that keyboard is infinite. But if that keyboard is infinite there's no music you can play. You're sitting on the wrong bench. That's God's piano.


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