2020年6月30日火曜日

哲学的で政治的なヒトラー???

最近、私は哲学に関するいくつかのオープンチャットに参加している。そこではさまざまに議論が繰り広げられるのだが、時折、喧嘩も見受けられる。しかし、大抵は管理者や発言力のある人が間に入って仲裁に入り、なんとか収まることが多い。

このように、対立が起これば、常に誰かが間に入り、調停がなされる。対話とは常に政治的であり、やはり人間は政治的動物とも言えるのだ。

日本語の「空気」と、サルトルの「まなざし」

サルトルは人間は自由な存在者であるとも言っていますが、その逆に、常に他人のまなざしに晒される存在者であるとも言っています。

2020年6月27日土曜日

私が詩を書いた

詩を


詩を
創ろうとしてるとき、未だ詩ではなく

詩を
探そうとしてるとき、未だ詩ではなく

詩がそこに在るときに、ぴったりな言の葉をようやく見つけるような

そんな感触がするかもしれない

2020年6月22日月曜日

アリストテレスのポリス的動物の意味とは?

「人間は社会的動物である」

よく引用されるアリストテレスの言葉としてこのような言葉があるが、ギリシャ語では

ο ανθρωπος ειναι φυση ζωον πολιτικον.
Ο άνθρωπος είναι φύσει ζύον πογιτικόν.
O anthropos inä fisi soon polotikon.
オ、アントロポス、イネ、フィジー、ゾーオン、ポリティコーン
Der Mensch ist von Natur aus Tier politisch.(ドイツ語)

ポリティコーン、つまり社会的動物であるというよりかは、ポリス的動物なのであり、みんながこの社会的という言葉から連想しているものとアリストテレスの意味とはおそらく異なっているのである。

2020年6月14日日曜日

生きづらさに甘んじるな!~中島義道の言い訳批判~

『「分かれ道」を通るためには、ひとは誰でも選ばねばならない。』
そう寺山修司は言った。ならば私はこう返そう

私は選べぬ、選びたくないがために「分かれ道」の前でいつも立往生している。

しかり

すると、「分かれ道」はひとつの「道」から、ひとつの「壁」へと変貌を遂げる。

2020年6月10日水曜日

コミュニケーションで相手の意図を汲むこと ~「君はそう言うことによって、何を言いたいのか」という精神分析的な態度~

-精神分析について読みたい方へ-

私自身が精神分析医ラカンによるフロイトから学んだことはなんだろう。

それは、精神分析的な技法、いや態度か。




ボロメオの輪に関して、ラカンが自分で提唱しておきながら、デタラメだと言ったりもしている。そして、フロイトも、自らの提唱に次々と修正を加え、後期では、前期の性的なものにあまりに固執した思想とは、違った様相を呈している。

はて、私はラカンの言っていることの内容よりも、その技法の方が大事だと考えるべきなのではないだろうか?

2020年6月4日木曜日

ニーチェはルサンチマンを抱くなとは言っていない?!


ルサンチマンとは、復讐感情のことであり、
一般的な意味では、強者だろうと弱者だろうと、復讐したいという感情に対して使えますが
ニーチェはその語を大々的に取り上げて語りました。

一般的には、敗者が勝者に対して、あるいは損した人が得した人に対して、不公平を訴えてか、単に負けたことの悔しさにか、
力で歯向かい、相手を打ち負かし、強者になろうとするのが通常のルサンチマンからの反抗であり、復讐が成功すればルサンチマンは解消されます。

まあ、それがまた(復讐された人の復讐返し、という意味で)別のルサンチマンを生み、新たな戦争を生みますが。(復讐の連鎖)


しかし、それとは異なるもうひとつのルサンチマンがあります。