「羊たちの沈黙」みなさんはこの映画に隠された意外に深い意味って知ってますか??
最近、この映画に隠されていた意味を知って、改めて単なる猟奇殺人鬼映画ではないと確信し、興奮してます。
ハンニバル・レクター博士は、人肉を食べます。レクター博士には教養はありながら、人を殺すことに罪の意識を全く感じないサイコパスです。
しかし、なぜかFBIのクラリス・スターリング捜査官は、レクター博士と交流していくうちに親近感を覚えます。
その不思議な交流を描いていくのがこの映画の骨子ですが、さて、一体なぜスターリング捜査官は親近感を覚え、そして、(ハンニバルシリーズ全体を通して)ゆくゆくは異性としての愛情まで抱くのでしょうか?
以下、ネタバレあります。
一つ目の理由は、もちろん、精神分析的なものです。レクターはクラリスに情報を提供する代わりに、彼女自身のプライベートな生い立ちなどの情報を要求しました。それをきっかけに彼女は自身の心のトラウマを打ち明け、レクター博士がそれを受け止めたため、親近感を持つに至ったのです。
人間は誰しも自分自身の心を打ち明けてしまうと、一気に親近感を覚えるようになるものなのです。
もう一つの理由はハンニバルシリーズの物語の深層部分にあります。それはレクター博士が罪の意識なく人肉を食べることによって、罪の意識なく動物の肉を食べる人間に、いわば象徴的な形で復讐しているからなのです。
物語の主人公クラリス・スターリングは幼少の頃、アメリカの片田舎に住んでいました。彼女の叔父は生活のため家畜を殺すのですが、彼女はそうした子羊や馬などの家畜のことがかわいそうでなりません。一度は馬と子羊と一緒に家出さえしました。
その記憶はそのまま、彼女の中で罪の意識を形成しました。
大げさに言えば要するに動物を殺して食べたり衣類にするという人間の罪深さを自覚したのです。
シリーズを通して、レクター博士は人間が動物に対して為す屠殺を、人間に対して復讐することで、いわば、人間の罪を贖っているのです。
つまり、イエスキリストがやったのとは逆の方法で人間を救うように描かれているのです。
「羊たちの沈黙」のタイトルの意味とは、何でしょうか?
第一に、クラリスの幼少期のトラウマ、すなわち、父の死と子羊の死を目の前にして、何もできずただ沈黙しているしかなかったということを意味しています。
第二に、バッファロービルなど殺人鬼たちの前では被害者たちは泣き叫ぶ子羊です。クラリスは彼女らを助けようとすることで、夢に見る子羊の鳴き声を鎮めて沈黙させるという意味なのです。
第三に、ハンニバル・レクター自身が救世主として捧げられた子羊たちを生贄として、クラリスら罪深き人間を救うという意味合いがあります。これは難しいのですが、昔から子羊は神への捧げものとして使われていたことによります。
註:内田樹の「ひとりでは生きられないのも芸のうち」のネタを自分なりに再構成しました。
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