2018年11月28日水曜日

大鴉





エドガー・アラン・ポー作 

加島祥造訳



 あれは嵐の吹き荒れる夜のことだった。それも真夜中だ。悲しさにぐったりした気持でもう世に忘れられた古い怪奇な物語を読んでいた。ふと、うとうと睡りはじめた。と、とつぜんこつ、こつ、こつ、まるで誰かがドアをそっと叩くような音。「誰かが訪ねてきてドアをノックしているんだ」とぼくは呟いた。「ただそれだけだ、なあんでもないのさ」


2018年11月17日土曜日

「アイ・フランケンシュタイン」と「失楽園」、そして「フランケンシュタイン」

「アイ・フランケンシュタイン」という映画があるが、ご存知だろうか?

「アンダーワールド」のスタッフによって作られた2014年のアクション映画で、ヴァンパイアと狼男をモチーフとした「アンダーワールド」がヒットし、続編も創られたのに対し、フランケンシュタインをモチーフとしたこの映画は興行収入が振わなかった。内容がおもしろくないせいである。

実際に私はこれを見てみたのだが、確かにおもしろくない。筋もあまりそそられないし、アクション映画、映像として、何かが足りない。しかし、今まであまり描かれてこなかった観点が描かれている。ここではそれを説明したい。

映画のあらすじを説明すると、
かの原作の「フランケンシュタイン」では、名のない怪物は自殺をほのめかす言葉を残して闇夜に消えて行ったという終わり方をしているのだが、「アイ・フランケンシュタイン」では、その続きを現代に至るまでその怪物は生きていたという仮定で描くのである。その上で、悪と戦う天使としてのガーゴイルたちと、堕天使である悪魔たちとの争いに巻き込まれるという展開になっている。


 みなさんは、どうしてフランケンシュタインが科学の力によって創った怪物が天使と悪魔の争いに巻き込まれなければならないのか疑問に思うのではないだろうか?

「ブレードランナー」、あと「フランケンシュタイン」とか


1982年のサイバーパンクの金字塔である映画「ブレードランナー」から35年後の2017年に続編「ブレードランナー2049」が創られた。

 一作目は2019年11月が舞台であり、二作目は2049年冬(おそらく12月)が舞台であり、設定ではちょうど30年の月日が経っている。

 いまやあらゆるものの続篇リメイクが撮られ、もはや描くものすべてが見たことがあるもののパッチワークだというこのシミュラークルな時代において、その主題自体を提示していたこの映画によって、いったいいまさら何を撮ろうというのか?
 そこには、「新しき夢」があるというのか??

という問いはさておき。思うことをつらつらと語りたい。まずは魅力的な人物からはじめよう。
 この続篇映画において最も魅力的だった人物、それはレプリカント(有機的な人造人間)の発明者エルドン・タィレル博士の後を継ぎ、レプリカントの改良を重ね発展させ続けるニアンダー・ウォレスである。ジャレット・レトが演じたその存在からは人間を超越したオーラが醸し出されている。
Niander Wallace

Pain reminds you the joy you felt was real.

「痛みは、自分が感じた喜びが現実のものだったってことを思い出させてくれる」

 

 

Every civilization was built on the back of a disposable workforce.

「全ての文明は使い捨ての労働力によって建設されてきたんだ」

 ウォレスは、多くの従順で有能なレプリカントを作り出し、人間のために働かせる奴隷として売りに出す。その生命の扱いは道具的である。
 さて、ウォレスは生命を作り出す「神」なのか?それとも、創り出した生命を苦しめる悪魔なのだろうか?
(以下、ネタバレもあります)

2018年11月6日火曜日

将来なにをしたらいいのかわからない人へ



将来どうしたらいいのかわからない。漠然とした不安がある。どうやって生きていったらいいのかわからない。何かしたい、でも何をしたらいいのかわからない。

そういう悩みを抱えている人は、自分自身を見つめなおすことで、自分自身の本当の望みへと近づくと思います。

でもどうやって??

私は次のような形で自分自身を分析し次へと進むための方法としました。