いきなりで申し訳ないのですが、今哲学で考えてることがありまして、因果律についてです。
つい最近まで、何事にも原因と結果があるのであれば、現世で死ぬことで次(来世や死後の世界)があると考えてたのですが、因果律の批判(ヒュームの思想)を知りました。
因果律の考えは私たちの習慣に基づくものであるという批判でした。
例として、火に手を近づければ熱いですが、99回目までは熱いとしても100回目では熱くないかもしれない、というのがある本で書かれてました。
そこで私が知りたいのが、このヒュームの批判に対する批判です。
この因果律の否定の先の考え・議論をあるのでしょうか..??
それについては、カントの考えがあります。
カントは「確かに、突然、明日、太陽が昇らないということはあり得るだろう。しかし、それがなんの原因もなしに。ということは考えられない。」みたいなことを言いました。
これこれの原因によってこの結果が起きるとは限らない。しかし、だとしても、それは別の原因による別の結果が起きているだけで「あらゆる生成変化はなんらかの原因を持つ。」と我々人類は考えざるを得ない。
そもそも人間は何に対しても「それはなぜか?」と問い続けることができる存在であり、なぜと問うときにその結果を必ずや加味している。それはたとえなんの原因も見当たらなかったとしても、原因が見当たらない原因は何か?と問えてしまうことからも分かる。
例えば、科学において、実験結果が理論と微妙に違っている時に、そこには誤差の出るなんらかの要因があるから、と考えたり、理論自体が違っていて別の理論がいるのではないかと考えたりする。
しかし、なんの要因もなしにそこに誤差が出ると考えることはそもそもできない。
ヒュームは表面上の現象にはさまざまな可能性があることを示唆しているだけで、実は原因と結果の関係についてはあまり考えていない。
原因結果には必ず「なぜ?」というものがついて回る。
火に手をかざして熱いのはなぜか。
100回目で火に手をかざして熱くなかったのはなぜか。
そこに単に権威ある人が言ったことを鵜呑みにするのでなく、ちゃんと根拠のある科学的なものの見方のひとつの大切さがあるように思われます。
アリストテレスの因果論やヒュームの因果論までわかるカント解説↓
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