2023年2月11日土曜日

やらない善よりやる偽善?



 『「見よ、わたしは病気だ」–悪い行為はそう語る。それが悪い行為の正直さである。だが、ちっぽけな考えはかび類に似ている。それははいまわり、もぐり、たえず所在をくらましている。–全身が小さいカビ類のために腐ってしぼむまで。』ニーチェ



偽善は、偽りの善、善のふりをした悪。

しかし、見てわかる悪よりも、偽善のほうがよほどタチが悪い。


偽善者は詐欺師に近い。

嘘つきには2種類あって、それが法螺吹きと詐欺師である。

法螺吹きは嘘をつく。しかし、単なる嘘ではなく、嘘の内容のほとんど嘘であるような嘘をつく。そのために、嘘だとわかられてしまうほどの大きな嘘、誇張されすぎた突飛な嘘となる。

しかし、詐欺師は違う。詐欺師はここぞというときしか嘘はつかない。そのほとんどは真実めいたことを言う。嘘は微妙にそれとわからないように入り混じらせるのだ。

詐欺師は詐欺を行うために、ありとあらゆる方法で信じさせようとする。そのためには真実ばかり言って、嘘は少なめのことが多い。

もちろん、映画に出てくる詐欺師は、大きな嘘を信じさせようとすることがあるが、その場合、まず自分自身を騙して、嘘を真理と思い込まなくてはならないほどだ。


詐欺と真実とは似通って見えてしまう。しかし、同じものだと考えると身を滅ぼす。


偽善もまた同じである。

胸糞が悪くなる偽善を紹介しよう。

若い女性社員にだけ、すぐに反応する同僚がいる。他の男性社員には全く手伝おうともしないのに。若い女性社員が困っていることがあったり、ミスをしたりすると飛んできて、手伝いつつフレンドリーに軽いボディタッチをしかけてみたり、ミスを叱って説教を垂れたりする。

女性社員がそれについて抗議しようとすると、「私は君のためを思って手伝おうとしてるのに感謝のひとつも言えないのか?」などと言う。

「私は善いことをしているのだ」と自分でも思い込んでいる輩も多い。


こんなときに漫画などのあの言葉を思い出してみよう。


「やらない善のよりやる偽善だ。」


確かに手助けしたり、ミスを指摘するというところは善い部分があるのだろう。しかし、だからといって肯定することは少なくとも私にはできない。

しかも、もっぱら「おまえは偽善者だ」という非難は、偽善者が善人に向かって言う言葉である。

彼ら偽善者は自分がしていることは棚に上げて、他の男性社員が女性社員を手伝おうとすると、「君はそうやって彼女の気でも引こうとしているのかね?それは偽善じゃないかね?」などと言ってきたりする。


「やらない善のよりやる偽善だ。」

これは善人が他人に偽善者だとレッテルを貼られたときに言うから印象に残る言葉なのである。

善人が善行するとき、他人からの見られ方は気にしないぞという意味で言うのであって、それは偽善ではない。

むしろ、偽善だと言われる善人は翻って偽悪者だと呼べる場合もあるかもしれない。


偽善とは、偽りの善であり、彼らが表立って悪い行為をしなくとも、決して善ではない。

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