「 私にとって哲学とは娯楽です。」
-ある人がそう語った。
-それに対して、すかさず掘り下げようとする私
具体的には、娯楽とはなんでしょうか?
芸術とは違う、極めることがなく楽しむのみという意味での娯楽のことなのか?
金を稼ぐ仕事とは違うという意味での娯楽のことなのか?
苦悩してる人が手を出すのとは違う苦悩を解決するということはないのでという意味の娯楽なのか?
「もうゲームと同じです。」
-彼は一言で答える。
そこでまた掘り下げようとする私
どの程度同じなのかもう少し語ってみると?
想定しているゲームがファイナルファンタジーなのか、マインクラフトなのか、どうぶつの森なのか、双六ゲームなのか、夜逃げをかけた麻雀なのか、カイジのハマった地下のサイコロなのか、名誉をかけた将棋なのか、遊戯王なのか、すべてかなり違っていますが。
「人生って娯楽じゃないですか。
いつか死んじゃうから、無駄の塊。
そういう意味の娯楽です。」
-彼は掘り下げる気はあまりないらしい。
-そこで彼の言ったことを解釈して私の方から掘ってしまおう。
つまり!人生という娯楽、この世界を生きるゲーム、あるいは人生ゲームと哲学とが似ている、と?!
ただ無駄と娯楽はちょっと違うと思いますよ。
無駄とは「何を?」無駄にしたのか?ということが問われるので。
「長い目で見ると人生は無駄じゃないですか」
では、仮に、人生が無駄でないとしたらそれはどういう状態のことを指しますか?
「え?」
発言から、「永遠に生きるとしたら、無駄ではない」ということが前提されてるなと。
「確かに…
でも今のところ確実に生き物は死にますよね?」
原始的な単細胞生物は全く同一のものが分裂し続けているため、どれかは必ず生き残り、死なないですが。
まあ、それはともかく、
単に哲学は娯楽、人生も娯楽。
哲学終わり。
…ではなくて、それが哲学の始まりで、掘り進めていかないと、それだけで終わっちゃうと、哲学が娯楽としてあまり楽しめないかなって。
永遠に生きたとして、無駄ではないと言えるのかどうかを探求していったり、先ほどの具体的にはどのゲームに人生や哲学は似ているのかや、娯楽とはそもそも何かを考えたりなどするというのは娯楽(=哲学)として楽しいですよw
さて、少しズレますが
一方では、遺伝子を残していくことで、そこに意味を見出せば、私の人生は無駄ではないということになります。遺伝子でなくても、意味があると思うものなら、何でも良いから残すわけです。
もう一方では、私はこの自我ただひとり。いくら遺伝子を残しても、私が死んだらあらゆるすべて意味がないと考えることもできます。
例えば、祖母に喜んでもらうために手紙を出すとします。
外が寒いためにとても家を出たくないなぁと思いながらも、便箋と封筒を買いに行きます。
この行為は、祖母に喜んでもらうためには無駄ではないですが、
便箋と封筒を買ったことそれ自体はその時それ自体にとっては無駄とも言えます。
むしろ、遺伝子を永遠に残すというのは、母子家庭の母親が愛する娘に思い出を残そうとすることの大切さに比べたら、全く無駄だと思います、たとえ、そのお母さんの娘さんが次世代を残す、つまり、子供を産まなかったとしても。
それだけ、娘を愛する母親にとって意味のあること。それは他人から見て無駄でも、その母親にとっては全く無駄ではない。そう私は考えました。
無駄とは、それよりも大切にしていることがあるのに、その大切にしたいことを疎かにして他のことをしてしまったとき、無駄なのではないかなと。
ゲームをして無駄だったなと思うのは、受験勉強でもしてたほうが良かったと思うから。
受験勉強など無駄だと思うのは、稼ぐ能力でも身につけとけばよかったと思うから。
仕事ばかりして無駄だったなと思うのは、家族との時間を大切にしたほうがよかったなと思うから。
生きてきて無駄だったなと思うのは、何かを誰かに残して、自分を必要としてくれたり、大切にしたい何かを守ったりして人生を過ごさずに、自分のことばかり大切にしていたなと思うから。
…かもしれません。
つまり、人生など無駄だなと思いながら過ごすことが最も無駄だとしたら?w
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