「私とは何か」カントとヘーゲルのエッセンスから考える。
これはカントが考えていたことなのですが、
(目の前に現れる知覚されるものや感じるもの、
肉体的であれ心的であれ記憶であれ、という)現象に
(言葉や記号といった)概念や
(時空間上に位置付けていく)直観を
結びつけるものがあり、
それは統覚と呼ばれています。
この統覚こそが根源的な私ではないかという議論があり、
実際のところ、
統覚の権利として
表象を様々に結びつけたのちに、
「と私は思う」という一文を付与することが可能になっています。
しかしながら、
カント自身はこの統覚を安易に「(本物の)私」などと呼ぶことに慎重になっており、
むしろ、この統覚が私と私でないものを経験的に区別していくことで
経験的な「私」というものが立ち現れる。
そのように考えています。
そして、その立ち現れ方は、
(これはヘーゲルや心理学からヒントを得ていることですが)
他人との出会いによってです。
例を出して、考えていくと、
ある人は「痛い」と言ってのたうち回っている。
しかし、「痛み」の現象が全く知覚されていない。
しかし、その痛がる姿に、かつて痛かった時の記憶を想起させるなにがしかがある。
それゆえ、この人は私ではない存在、他人である。
「今、私は痛くないが、その私に多少なりとも似たふるまいをする他人は痛いのだろう」
そのことによって、無意識に他人を確定しており、他人でないものを私と言っている。
というようなことを無意識的に規定してしまっている世界に生きているのです。
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