2021年9月14日火曜日

宇宙という世界を創造したのは「神の意思」ですか「自然法則」ですか?

 宇宙という世界を創造したのは「神の意思」ですか「自然法則」ですか?


これにどちらとも答えることもできない。

こういう問いは、どのように考えていくのが良いだろうか?


「宇宙という世界」を「自然法則」が創造したとすれば、「自然法則」は宇宙という世界以前に無ければならない。


これは奇妙なことである。


「宇宙という世界」とは何か?

一般に宇宙とはtime and spaceという。つまり、空間と時間の広がりである。

この「空間と時間の広がりそのもの」を自然法則は創造することができるのか?

そもそも空間時間の内に存在している物的な存在に対して働くのが自然法則である。


したがって、そもそも空間と時間の広がりが存在する以前に物的なあらゆる存在もありえず、そうするとそれらに対して働く自然法則は存在しえない。


続いて、「神の意思」について考えてみる。

これについては神という言葉が何を意味しているかに依存している。


神とは何か?


神とは、世界を創造した者を意味するのであれば、たとえ、世界を創造したのが自然法則なるものだったとしても、問題ない。

神とは自然法則のことだったと、分かるだけだ。

あるいは神が自然法則として現れていると言ってもいい。

それで何が問題なのか?


ここには神という概念において、人々が勝手になんとなく人型のおじいさんのイメージを抱いていることによって起るなにがしかの誤解があるのだ。

まことに貧困な想像力である。


神を完全な者と定義しているならば、数学の不完全さをゲーデルの不完全性定理を持ち出して証明するのもよいだろう。


しかし、神は数学を不完全に作ったと再定義すればよいだけだ。


あるいは、宇宙が予め決まっているという決定論で無く、すべて確率的に決定されているとしても、さいころを降って決める神を採用すればよいのだ。(これは物理学者ボーアが言ったことだが)


ここで問題は、どういう神という言葉の意味を信じているのかだ。


歴史的に「神」という言葉にはあまりにさまざまなものが詰め込まれすぎている。


それゆえにそれは脳髄が作り出した概念だとか言われるのだろう。


では、真の神とは何なのか?


ここにおいて我々は思考できないものについて思考しようとしている。


それについては我々は考えることもできない。言葉が適切でないからだ。つまり、それは「五角形な匂い」という概念と同じように無意味なもののである。


ここでようやく宗教的な態度の出番が来るのだろう。(宗教の教義ではなく、宗教的態度が重要)

そこでは、神の存在を信じるか、信じないかが問題であって、神が存在するかしないかを判断することは問題ではない。


態度とは、生きるときの意識の持ち方、要するに生き方である。



問いはこうである。

あなたは神の存在を信じて生きたいのか、神の存在を意に介さずに生きたいのか?


私は少なくとも、眼の前に繰り広げられた現象や心の内に私などには到底到達できないような不可知の神秘に気がつきつつ生きたい。



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