歴史には法則性があるのか、それとも偶然の積み重ねにすぎないのか?
この問い、問いそのものが世界を単純化し過ぎている。
私はそう感じてしまう。
(問いかけを一般化することに関してはこちらのブログ記事でも指摘したことがあります。)
歴史は、というかあらゆる物事には、法則性があって、かつ、偶然の積み重ねである場合が多いんじゃないのか?
問題なのは、もっと具体的な話で、どこまで法則が適応していて、どこからが偶然なのか、だろう。
例えば、「ナチスによるホロコーストのようなユダヤ人の大量収容と大量虐殺が起こる原因は何か」、という問いかけであれば、それがどういった点においては法則性によるのか、そして、どういった点においては今回のみしか起き得ない偶然的な事柄だったのかを調べていくことが有益になるだろう。
歴史そのものに対して法則性を見出す。
いったい誰が何によって法則性を見出すのか?
それは人間であり、
人間の理性(あるいは悟性)によってである。
では、どうしたら、その事象に法則性があると言えるのか?
これには2つのことが思い浮かんだ。
そのひとつは反復可能性である。
人間は、同じことが2度起きると、そこには法則を見出そうとする。
「歴史は繰り返す」というが、人は、ある2つの事象に繰り返されたものを、
つまり、共通点を見出す。
理性とは、似ているもの、同じものを見出して、そこに法則を見ようとするシロモノなのだ。
そして、同じ条件のときに、同じ結果が起きるなら、その条件こそが原因だと推測する。
それゆえ、
ある条件のもとでは、なんどでもその事象が起きるということが保証される必要がある。
そして、さらに言えば、そのためには、ある条件のもとでは何度でもその事象が起きるということが、確かめられなければならない。
このように何度も実験して誤りがないかチェックできるということは反証可能性といわれ、ポパーという科学哲学者が科学の条件として提唱している。
しかし、歴史は、何度でも実験できるというわけではない。したがって、反証可能性を担保することは非常に難しい。
例えば、イエス・キリストが一度死んで3日後に復活したという事象は、何度も実験することは難しいだろう。他の人間であれば、死んで生き返ることがないし、イエス・キリストのみの特性であるならば、イエス・キリストはひとりしかいないから、もう一度確かめることはできない。
したがって、歴史においては、どうしても確からしさが薄くなってしまう。(ちなみに進化論も同じ困難に苛まれている)
もうひとつは、そこに今まで見出してきた原因と結果の法則との連関が矛盾しておらず、むしろ、仕組みとしてその事象の原因として連関しているということである。
イエス・キリストなる人物が一度死んで3日後に復活したという事象は、彼が人間である限りにおいて、生理学において連関させると、確からしさは薄くなってしまう。
歴史においてできること。それは、さまざまな証拠をかき集めて、事実を推理することくらいは可能であろう。
しかし、そこから法則性を導き出そうとするとき、上記のような困難がつきまとう。
さらには、統計によって何か法則を見出そうという試みがある。(主に心理学で多用されるが。)
これも反復可能性のひとつの形ではある。
しかし、それは単に何度も反復されるというだけで、法則があるということの根拠にはなりえない。
単なる統計というだけでは、ただ何度と起きたというだけで、占いと変わらない。
占いと違うのは、その原因が今までの科学的知見との連関をもって、特定されているということである。
例えば、「トーストがバターを塗った面を下にして落ちやすい」という迷信がある。
確かに多くの人がこれを経験している。
しかし、それだけではただの迷信に過ぎない。
統計によって今まで落としてみて90%がそうなったというデータがあったとすると、人はそれを科学なのだと勘違いしやすい。
しかし、それでもまだ迷信である。
占いも、何度も、繰り返し当たる例があるからである。
しかし、トーストの大きさと、人がそれを持っているときの平均的な高さ、それを落としてしまうときの角度と回転などから、トーストが落ちるときは、はじめに持っていたとき上になっている部分を下にして落ちやすいということが説明されれば、ひとつの仮説として科学になりうる。
(実際に、そういうことを研究した論文があるそうだ(笑))
こうした、科学の妥当性一般について考える学問は存在しており、古くはカント哲学、そして、英米系の科学哲学が探究している事柄である。
興味を持った方は調べてみるとおもしろいように思われる。
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