攻殻機動隊ゴースト・イン・ザ・シェルとソクラテスのダイモーンについて話してみたいと思います。
① ゴーストとは何か?攻殻機動隊
SF「攻殻機動隊ゴースト・イン・ザ・シェル」とは、身体を脳に至るまでサイボーグ化でき、そして、脳から直接にインターネットに接続できるような世界でのお話で、マトリックスにも影響を与えたとも言われています。
この副題である「ゴースト・イン・ザ・シェル」とはどういう意味でしょうか?
日本語訳すると「貝の中の幽霊」とでも言いましょうか?
この作品で主人公素子が放つセリフに「そう囁くのよ、私のゴーストが」というセリフがあります。これは素子が自分自身の「こうだ」という無根拠の確信を自覚するときに使われるセリフです。直感を信じるみたいな。
ゴーストとはなんでしょうか?幽霊と訳されることがありますが、幽霊とは肉体から離れた魂、つまり、肉体とは区別される魂、精神という意味でもあります。
つまりそれは自分自身の魂のようなものです。
② ダイモーン(神霊)とは何か?ソクラテス
続いて、古代ギリシャの哲学者ソクラテスのダイモーンについて話します。
ソクラテスはダイモーンによって若者たちをたぶらかした罪で死刑になりました。
私はこのソクラテスのダイモーンと攻殻機動隊のゴーストとが同じなのではないか?そう私に囁きます、私のゴーストが。
ソクラテスは友人たちに「ソクラテスは無罪なのだから脱獄すべきだ」と言われます。しかし、ソクラテスは友人に反論し、この国の仕組みである裁判によって決定したことなのだから、それには従うべきだということを主張します。ここから「悪法も法なり」という言葉が生まれるのですが。
ソクラテスは、国家というダイモーンが私に語りかけてくるという仕方で話をします。
国家のダイモーンが、この国家の恩恵をあなたは受けてきたし、この国家の裁判の仕組みをあなたはあらかじめ批判していたわけではなかった。今更都合が悪くなったからと言って、国家の仕組みを無視して裏切ることはおまえにとっての正しさなのかと。
国家とはポリスであり。みなさんは制度や政府というイメージがありますが、ここで、ポリスとは人と人との共同体のようなものをイメージするとよいでしょう。
あるいは別の著作では、ソクラテスは巫女とギリシャ神話のエロース(ローマ神話でのキューピット)について話をしているのですが、その中でダイモーンとは美でも真でも善でもないということを言います。エロースは愛の神霊なので、人を愛させる力がある。しかし、エロースという愛の神霊そのものは美しいはずがない。エロースそのものが美しいならば、美を自分で持っているので、美しいものを目指さないからだ。
そうではない。神と人との中間にある仲介者のようなものだ。ということなのです。
ちなみに、ダイモーンという概念は後にキリスト教によって邪神扱いされ、悪魔を意味するデーモンという言葉になりました。
さて、攻殻機動隊ではゴーストとは私の魂のようなものであることがわかり、
ソクラテスのダイモーンとは神と人との仲介者であって何かを私に語りかけるものであることがわかりました。
③ 自我から自我を取り去ると残るのは何か?埴谷雄高
ところで、埴谷雄高という日本の作家が「死霊」という作品の中で興味深いことを書いています。
Ich + Ich = Ich
Ich - Ich = Daemon
Daemonとは、デーモン/ダイモーンのことで、Ich(イッヒ)とは「私」「自我」という意味である。
例えば(私は「私が今存在していること」を考える)とき、「」かぎかっこ内の存在する主語の【私】と()まるかっこ内の考える主語の【私】とは文法上、あるいは時間的にズレているために区別されている。しかし、その2つの【私】は根源的には同じものであることを理解している。
昨日まで、奥さんと子供がいるというニセの記憶を信じていた私と、それがニセの記憶だと知って絶望している独身男の私とが同じであるということを知っているから絶望するのだ。
その意味で、そうした様々な私をいくら足してもそれはすべてがひとつの私なのである。
では、「私」から「私」を取り去るとどうなるのか?
私から私を取り去ることなどできない。
しかし、「私」とは、ワタシという言葉に集約される様々な表象(現れ)のことである。
「私が考える」「私は痛い」などと言うが正確には、『「考え」がある』、『「痛み」がある』のであって、それらの知覚を束ねている「私」など、どこにもない。
しかし、そんな私に集約される様々なものを取り除いたあとに残るものが「私」という言葉に集約されているのにも関わらず(全く他人のようなという意味で)「私」でないもの。それがダイモーンなのである。
④ 良心の呼び声は何と言っているのか?ハイデガー
20世紀最大の哲学者と呼ばれる大哲学者ハイデガー。
彼は、「存在」について考え続けた哲学者で、
主著「存在と時間」を残しています。
そのハイデガーの哲学に、「良心の呼び声」という言葉があります。
これがダイモーン、そして、私に囁くゴーストに近いものではないだろうか?
ハイデガーはその著「存在と時間」において、人間がすぐに世間の風潮や流行、噂話や視線に流されて自分自身を失ってしまうことに注目していました。
「私」(ハイデガーの用語で現存在)はいつも世間に流される世人(ダスマン)になってしまっている。
そこで、私自身を見つめ直して本来の自分の在り方を見出すことが必要になってきます。
そこで良心の呼び声が重要になってきます。
この良心の特徴をハイデガーに即して列挙してみます。
・良心は現象ではなく在り方のうちにあり示される。
・良心は呼び声として露わにする。
・音声を発して知らせることが本質的ではない。
・良心は開示する。
・呼び声は、騒がしくなく、あいまいでなく、好奇心に依ることなく、呼ばずにはいられない。このようにして、呼びながら了解させるものが良心
・良心は、ひとりいつでも沈黙するという様態で語っています。
・呼び声は、何ごとも言表せず、世界の出来事になんらの情報も与えず、何も物語るものをもたないのです。
・呼び声は現存在自身に無を呼びかける。
・何ものも呼びつけられずにむしろ自己は自分自身へと、すなわちその最も自己的な存在了解へと呼びおこされている。
岡本太郎である前に人間だ。本来的な自己はよくちまたで言われる個性なんてものじゃない。
・自己へと人は呼びかけられるのです。
・現存在は良心のうちで、自分自身を呼ぶのです。
・負い目を持っている。
・その喚び声は黙するという不気味な様態で話す。
そういうものらしいのです。
つまり、良心の呼び声とは、不安にさせるような内容のない沈黙のようなものです。
友人が分かりやすい喩えを示してくれたのでここで紹介します。
例えば、あなたが引きこもりだったり不登校だったり鬱病で休職していたりするとする。
毎日、ふとんを被って、こう思うかもしれない。
「このままでいいや」
あるいはあるときはふとんから顔を出してこう思うかもしれない。
「このままじゃだめだ」
このとき、私は良心の呼び声はこう語っているのかもしれないのです。
「あなたはそれで本当にいいのか??」
これは「あなたはそれで本当にいいのか」という声が聞こえてくるわけではありません。
巫女や神託が有効であったソクラテスの時代にはありえたかもしれませんがw
そうではないが、しかし、私はこの声なき声を明瞭に理解するのです。
なんとなくわかります??
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追記2022年8月
実は、スヴェンブロが、ソクラテスのダイモーンを近代的な内面の良心の声であると指摘していたらしい。
Svenbro, Jesper. “アルカイック期と古典期のギリシャ――黙読の発明”. 片山英男訳. 読むことの歴史 ヨー ロッパ読書史. Chartier, Roger; Cavallo, Guglielmo. 大修館書店, 2000, p. 33-73. 原著Histoire de la Lecture dans le Monde Occidental. Les Editions du Seuil, 1997.
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