仕事というのは、英語ではworkと言われる。
英語ではworkは他に「(芸術)作品」を意味している。
つまりは、仕事とは創造である。
ロックの影と言われるヴェルヴェットアンダーグラウンドのかつてのメンバー、ルー・リードとジョン・ケイルが出したウォーホル追悼のアルバム「ソングスフォードレラ」に"work"という曲があるが、ウォーホルの作品制作とそれによる仕事のふたつの意味を指している。
workという考えを持って、諸企業はこぞってイノベーションを繰り返し目指し創造的なことを成し遂げようとする。
スティーブ・ジョブズの製品への熱いこだわりのような。
そこには、全体として進んでいくべきビジョンがある。
企業理念なんかがそれにあたるのだろう。
その理念へ向けて会社全体が動いていく。
社会を創造していく。
そういう目的論的なものなのだ。
一方で、これに対する概念としては労働laborが挙げられる。
laborとは従事すること。
つまりはある指示や作業に従うこと、服従することである。
ちなみに、このlaborという語チェコ語ではrobita(強制労働)といい、文字通り、robotの語源である。
チェコのチャペックという作家の描いた最初のロボット小説の通りである。ロボットとは最初から主人に服従するものとして確立していたのである。
マルクスはこの仕事と労働の違いを見抜いていた…らしい。
この違いは、古代ギリシャの逸話から説明されている。
あるところで大工たちがせっせと働いていた。
賢人はその大工たちひとりひとりに「何をしているのか」と尋ねる。
大工たちは答える。
「木を切っているよ」
「私はのこぎりを研いでいるよ」
「みりゃわかるだろ、くぎを打っているんだよ」
「測定している」
どの大工の答えを聞いても、
賢人は「あなたは自分が何をしているのかわかっていない」と言う。
とうとう最後の大工となった。
その最後の大工は答えた
「これは新婚の夫婦のために家を建てている。この夫婦一生の生活を支えるために何ができるか、それを為している」
と答える。
賢人はその答えに満足し、「あなただけは自分自身が何をしているのかわかっている」と言ったそうだ。
マルクスは資本主義を批判して言う。
彼らプロレタリアートたちはひとつの「椅子」を作らせてもらえない。
一人が椅子の設計をし、
一人は椅子の足を作り、
一人は椅子の背もたれを作り、
一人が組み立て、
一人が運び、
一人が売る。
そうすると、ひとりひとりは「私は椅子を作っている」という目的意識から外れて、それぞれの細かい些事への意識ばかりに目が向いていく。
マルクスは言う。
彼らはあの大工たちと同じように、彼ら自身の作った物、つまりwork作品から疎外されており、そしてそのことによって、彼ら自身のworkから疎外されていると。
彼らはただ給料を得るためにそれをしているのであって、協働の協働によって為されるworkのために為されていないと。
別の経営学風な言葉で言うと、経営者的視点と賃労働者的な視点。
ある会社を経営するのであれば、その会社の全体のことを考え、いかに運営していくか、会社の人員から利益までいろんなことを管理運営していかなくてはならない。
で、仕事を回すのであれば、時間であれなんであれ投入する必要がある。
会社全体のことを考えなくてはならないから。
一方で賃労働者的な視点というもの。
これは休息時間、プライベート時間の確保と保険関連および将来への個人的計画。
こうした互いの観点の違いから、働かせたい経営者と労働を早く済ませてプライベートな時間を取りたい賃労働者は対立しやすく、歴史的に対立してきた。
そのことによって賃労働者にできたのが労働基準法と労働組合なのではないだろうか。
一方で、こういう企業も多い。
労働者には木をきるのじゃなくこの木で船をつくりその先には夢の世界が待ってると、
夢を造るのだと教え込む。
確かに、今のブラック企業はそれを逆手にとって、夢を見せて、奴隷のように働かせるというビジョンがあり、そこまではマルクスも見抜けていなかった。
共産主義社会として構想されたソ連の失敗も、いわゆるブラック企業と同じ構造であったことからも伺える。
仕事とは、全体の進むべき目的と成果をもってそれを目指したものであり、
労働とは、目的のための些事なる手段に過ぎない。
仕事へ意識を向けると、それはそれ自体で創造的であそびやゲームのようなしかも責任のある感覚を持つ。
労働へ意識を向けると、そこには効率化、自動化、責任転嫁、いかに労働を少なくし、楽をして得られるかということに意識が向けられる。
単純化しすぎてはいるので、完全にこう簡単に切り捨てることはできないが、しかし、ゆるやかな意識の方向としてこうしたものが私には見えている。
【追記】
ハンナ・アーレントの「人間の条件」という書籍が、同じようなことを言っているとの指摘がありました。ひょっとしたら、私はマルクスについて調べているつもりで、別の文献などでアーレントによるマルクスなんかに意識せずに触れていたのかもしれません。
現にマルクスの原典のどこだったのか、思い当たらないので、私が読んたマルクスについてのアーレント寄りの二次文献の何かで知ったことなのかもしれません。
今度、しっかりと読んでみたいと思います。
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【追記】
ついでに言えば、職業、これはドイツ語でBeruf、英語ではキャリアCareerである。キャリアとは字の通り運ぶから来ており、今まで歩んできた道のことである。
一方で、Berufはrufen(呼ぶ)から来ており、昔から、神に召された使命を指す。
つまりは職業とは神によって選ばれた運命、永遠にし続けるものであり、それをするために生まれてきたものである。
そうして、それこそがドイツでの職業精神だとか。
(この記事は2015年10月に書いたものを手直ししたものです)
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