2016年5月6日金曜日

カエサルがアレキサンダー大王を羨んだ件について

「有名になりたい、歴史に名を留めたい」男なら皆、そのような夢を持ったことがあるかもしれない。
かのユリウスカエサルは、30歳にして、アレキサンドロス大王の像の前で跪いて「アレキサンドロス大王が世界を征服したのと同じ歳にして、自分がまだ無名でいることを悔しみ、涙していたそうだ。
私自身、もう30に近づいている。私もまた、アレキサンドロス大王の前で涙するのだろうか。
しかし、カエサル、彼は最期にはアレキサンドロス大王よりも名を留めた。カイザー、すなわち皇帝、その名を普通名詞として留めてしまったのだ。
私はこの男の当時の悔しさをバネにする力を見習いたい。
では私は何になりたいのか?

正直なところ未だ定まってはいない。

アダム・トレル氏が日本の映画のレベルが低すぎると言った件について

私は賛成できません。
例えば、黒澤明、小津安二郎、北野武、大島渚、ゴジラ、彼らの名前だけでも世界に通用するのでハイレベルだと思うんですけどね。

なぜレベルが低いと言われるのか考えてみました。

1. 日本のコメディコント調のテンポとかが理解されないところは大きいかもしれません。コメディとサスペンスとドラマを全部入れてしまう映画とか。全くリアルでないシュールギャグをかましたりとか。三谷幸喜とか園子温のテンポとか。私は好きなのですが。

2. 映画なのに制作費を節約しようとする。特にアクションにおいて顕著ですよね。ゴジラとか、図書館戦争とか、よく作られていてもそれがハリウッドと比べてしまうとどうしても見劣りしてしまう理由なのかも。→これは、日本の映画が日本向けに作られているからなのかもしれない。日本だけでの公開では興行収入見込めず、そのためお金がかけられないのかもしれない。だから、金をかける場合には金をかけた坂口博信の世界初のフル3DCG映画「ファイナルファンタジー」みたく、海外でやる。あれは失敗してたけど。

3. CGが雑でリアルでないのが多すぎる。デスノの死神とかCGが人形じみています。ハリウッドはスクゥービードゥーとかCGキャラの表現豊かな気がします。あるいはアポロ13のロケットのシーンは全てCGだそうですが、全くCGだと気づかない出来になってます。これもお金かけてないからなのかも。いや、押井守の「イノセンス」はいいできだったけど。

4. 日本での黒澤明、小津安二郎、北野武、大島渚の評価が日本の一般人からあんまりなされていない。というか、彼らの映画が一般向けに作られていないからかもしれないが。まあ、それは言い過ぎだが。小津安二郎のは日本人にこそ馴染みやすい映画だし。

5. メッセージ性の問題。日本の映画には、心情表現を用いて家族や愛や人生、死についてメッセージを伝えることに長けている。しかし、うまく伝えられるメッセージ内容は、あまり幅広くない。
ハリウッドであれば、宗教、神、歴史、法、神秘、正義、運命、科学、宇宙人の未知、戦争、国家、差別、ジェンダーなどをするどく伝える映画がある。
これらの内容を伝える映画は日本にももちろんあるが、長けているとは言えない。→観てない映画もあるし偏見入ってるかも。

2016年5月5日木曜日

「エイリアン」の考察

確かに他のを見てしまうと1作目は見劣りします。しかし、あの1作目はホラー映画として作られたからなのです。襲ってくるのがなんなのかわからないから怖い。だから、1作目はパッケージもエイリアンの写真を載せない。

ホラー映画の宿命として、2作目以降はサスペンスかミステリーになるか、怪物を敵にしてアクションにするのがいい方法なのです。
そのままホラー映画でがんばろうとすると「着信アリ」の続編のように失敗します。

2作目エイリアンズは舞台や装備は明らかにベトナム戦争を意識して作られてました。そして、ラスボスとしてのクィーンとの闘いや護るべき少女を出したのが効いてました。クィーンはなんとジェームズキャメロン自身でデザインしたそうです。
タイトルはエイリアン2ではなく、「エイリアンズ」1作目では1匹だったのが、2作目ではたくさん出てくるので複数形となったのです。このエイリアン、エイリアンズという表記は「イットケイムフロムアウタースペース」と「放射能X」という古いSF映画を意識してつけられたらしいです。

エイリアン3は舞台は監獄で、犬の遺伝子をとりこんだエイリアンがすばしこくなっています。そして、少しだけ監獄にいる悪人とエイリアンのどちらが悪かみたいなテーマが入ってきています。ただ、評判はよくありませんでした。僕は好きですが。

エイリアン4はジャンピエールジャネというフランスの監督が撮っており、さらに善と悪の相対化「エイリアンは悪なのか?」というテーマがメインになっており、エンタメ要素がなくなってきてます。それでひょっとするとあんまり楽しめないかもしれません。ちょっと小難しいので。

それを考えるとAVPシリーズは、そういう哲学的な要素はすべて排除され、ほんとにエンタメだけ特化されました。エイリアンシリーズとは世界が違うように設定されています。

リドリースコットの「プロメテウス」という映画は、エイリアン1作目の世界の続編と言われていますが、見るとハテナ続きになります。謎が多すぎる映画でした。次回作に期待。

HRギーガーはすばらしい。
スペインの偉大なシュール映画の監督ホドロフスキーが惑星デューンの映画化のため、画家であるHRギーガーをハリウッドに呼んでいなければ(惑星デューンは映画化失敗したが)、この映画エイリアンは決して作られませんでした。当時、HRギーガーは映画には無関心でしたので。(なんとこの惑星デューンの映画化のさいにしたHRギーガーの宇宙の城のデザインはなんとそのままプロメテウスに使われています!)

さて、HRギーガーがしたエイリアンのデザインですが、元になるモチーフは何でしょう?

エイリアン1作目の革新について
深層1: ゴシックホラーを宇宙に再現した。
エイリアンは明らかにゴシックホラーを基盤としています。宇宙貨物船はドイツのお城をモチーフとし、最後の脱出ポッドは棺桶をモチーフにしています。そして、恐怖に慄かせるのは女性。エイリアンは1作目においては最初は何者なのか全く明かされない。

深層2: 性的なテーマを入れ込んでいる。
実はこのエイリアンのモチーフは男性器である。よだれをだらだら流して黒光りしていて、あの頭は亀頭なのである。そして、アンドロイドはエイリアンを宇宙船に乗せて連れ帰ろうと画策していた。アンドロイドの体液は白い、首がとんだとき射精を連想させるように。
エイリアンとアンドロイドは感情を持たず攻撃的な男性の象徴なのである。
そうして女に喰ってかかり、闘うが、最後には女性側が勝利するという筋書きなのである。
また、エイリアンは腹を食い破って生まれるが、これは妊娠した女性がお腹にいるのは蛇の子で食い破って出てくるのではないかというドイツの古い恐怖譚に基づいている。
そして、エイリアンのパッケージおよびPVの卵ですが、原初的なものを見せることによってある種サブリミナル効果をもたらすと言われています。

深層3: 神秘的で哲学的なテーマが入っている。
プロメテウスは明らかに、創造主に会いに行くというテーマ(これはブレードランナーのときからのリドリースコットの永遠テーマである。)だが、エイリアン1作目にも判りづらいのだが最初から宗教的なテーマが入り込んでいる。
それは完全生物という言葉である。アンドロイドは、エイリアンを純粋に欲求のみに従い生殖し続ける完全生物と表現した。人間は感情と理性の両方を持っているために不完全な生物であると。ちなみにアンドロイドは人間を模して作られているためにより不完全と言えるかもしれない。
プロメテウスはこの観点から何かしら解明できるかもしれない。

2016年4月27日水曜日

マジシャン映画の傑作「プレステージ」(後半よりネタバレあり)

オススメのマジシャンもの映画、プレステージ
私の中では、マジシャンものは、プレステージがダントツでナンバーワンのマジシャン映画でした。マジシャンものといえば、単なるトリックの見抜きあいや、科学と魔術の対比に終始するものが多いのですが、それだけでなく、物語構成といい、全体としてのメッセージ性、哲学性といい、申し分ないです。あらすじ:ヒュージャックマン演じる主人公アンジャーはクリスチャンベイル演じるライバル、ボーデンと師匠のもとでマジックの修行をしていた。ある日、マジックの失敗により、ボーデンは、水槽脱出マジックの助手をしていたアンジャーの妻を死なせてしまう。以後、アンジャーはボーデンを憎み、ボーデンの単独マジックを見抜いては邪魔をしたり、同じマジックを行ったりする。邪魔や見抜気合いは互いにやりあい、エスカレートする。しかし、ボーデンが行った瞬間移動マジックのトリックが見抜けず、アンジャーは本物の瞬間移動を成し遂げるために旅に出ます。そして、ついに瞬間移動を科学で成し遂げる実験を行うニコラステラというマッドサイエンティストと出会うのですが‥。

以下、ネタバレあり
「プレステージ」とは何か

2016年4月1日金曜日

サンタと私の希望

いつの間にか・・
小3の時、普通に信じていたが、サンタのくれたメッセージが日本語だったことに疑問を持った。また、ほかの友達にきたメッセージは英語だったので、余計に疑問を持った。
小4その年のクリスマスの夜、サンタに会おうと決心した。ダンボールの箱の中で(うちではクリスマスプレゼントは靴下や寝室ではなく居間にあるクリスマスツリーの下に置かれるのですが、)サンタを待っていたが寝てしまい,、失敗。
小5のとき、今度は居間の隣の部屋で布団に隠れながらサンタを待ち、父の歯磨きの音が止んだ後、物音がした。
布団から出て、そっと居間を覗いてみるとプレゼントはあったが、誰もいなかった。「サンタは父かも?」と言う懸念が頭を過ぎる。しかし、確信できず。
中学に入って3年間の間に弟が根拠もなくおそらく友達などに言われて「サンタはいない」と断言。
さらに、私はプレゼントの内容がだんだんと気に入らなくなっていった。中2の時のプレゼントが大きかったので期待を膨らませて開けると、なんと地球儀だったのだ!!弟なんかもっと酷いなんと・・なんとお菓子や箸、筆箱である。
弟は友達に「クリスマスプレゼントなんだった?」って聴かれる度に苦痛を感じたそうだ。
親は親で「我が家は本当はキリスト教じゃないから(とかサンタを信じないからとか、いい子にしないから、等その時々で理由をつけて)サンタクロースは来ないんだよ。でもそれじゃあかわいそうだからお父さんが代わりに買っているんだよ」   っっっってバラしてる!!
そんなわけで夢は壊れたわけ、、でも僕が本当のほーんとーに確信したのは高校に入って最初のクリスマスにクローゼットにプレゼント
に隠してあるのを見つけてからなのです。ここで初めて「やはり両親がサンタだったのか」と確信しました。
しかし、確かに家では親がサンタの代わりをしているが、僕が小3の時はどうだったか分からないし、本当のクリスチャンの家には来るのかも知れないと思っています。

ここで一言:あの太陽の輝く遥か彼方に、私の最もあこがれている何ものかがあります。たとえ、そこに達することが出来なくても、私は頭を上げてその美しさを眺め、そこにあると信じ、その指差す方向へついて行くことができるのです。ルイザ・メイ・オールコット

インターステラーのマーフィーとは?

クリストファーノーラン監督作の「インターステラー」という映画がある。この映画「インターステラー」において主人公クーパーの娘の名前をマーフィーという。マシューマコノヒーの演じる宇宙飛行士でも科学者でもある主人公クーパーは、「マーフィーの法則」にちなんで娘を「マーフィー」と名付けた。

「マーフィーの法則」とは「失敗する可能性のあるものは、失敗する。」に代表されるユーモラスな諸経験則であり、主に次のようなものがある。

*「いくつかの方法があって、1つが悲惨な結果に終わる方法であるとき、人はそれを選ぶ」
*「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」
*「洗車しはじめると雨が降る。雨が降って欲しくて洗車する場合を除いて。」

基本的な法則は次のようなものである。「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」他の諸法則はこの法則が分化してできたものらしい。

映画では、「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」でマーフィーは兄弟にからかわれていた。
それでマーフィーは怒って、父であるクーパーに聞いた。
「なんでこんな名前にしたの?」って。

トーストが高級なカーペットに落ちるとき、人は「バター塗ったほうを下にして落としたくない」と強く思う。
→俗に最近の言葉では「フラグがたつ」とか言う。
→そう強く危惧していたことほど、実際におきてしまう(つまり、恐れていた通り実際にバターを塗ったほうを下にして落としてしまうのだ)。

だから、フランスやイギリスじゃあ似たような事象を「くそったれの法則」'Sod's Law'"La loi d'emmerdement maximum" と呼ぶww

また、人はよくないことが起きるときのほうが、よいことが起きるときよりも強い印象を受ける。

そうして、その強い印象ばかりが記憶に残っていくので、経験としてはそうした強い印象ばかり集まり、「マーフィーの法則」ができあがるわけだ。

つまり、実際はバターを塗ったほうを下にして落とすことは少なかったとしても、下にして落とす事例のほうが残念に感じて印象に残るために、そのような法則ができあがるのだ。(ちなみに実際に行われた実験ではカーペットの値段には関係なく、バターを塗った面を下にして落とす確率が高いことが分かっている。)

こうして心理学や統計を駆使して考えると、「マーフィーの法則」はおよそ科学的にはあほらしいことばかりである。
しかし、それでもそうした何かの偶然的に見えるなんの関係もなさそうな事象(バターパンとカーペットの値段の関係)であっても、それは一つの法則なのだと法則を見出してしまうのが「マーフィーの法則」なのである。

マーフィーの法則には二つの側面がある。この法則はある真実と言うよりかは、ある種の教訓や注意のようなものである。

A「想定(危惧)しているおよそずべてのことは実際に起きてしまう」

B「まったく関連のないところにも思いもよらない関連がありうる。」

A
およそ想定しうる最悪の事態は、実際に起きる。
最初にマコノヒーがマーフの担任と口論したり、地球の滅亡、最初の星で何も得られていないのにも関わらずの時間のロス、プランAはそもそも不可能であること、宇宙船母船の破損や計画創始者による裏切りなど、およそ起こりうる最悪の事態が起きている。しかし、地球は滅亡は、およそ想定だにされなかったようなこと、つまりはマーフィーの法則を超えたところに解決がある。これが法則の側面Aの側からみたインターステラーである。

B
ところが地球は滅亡は、およそ想定だにされなかったようなことによって解決する。
マーフィーの法則Aを超えたところ、マーフィーの法則Bの中に解決がある。
つまりは未来の5次元空間と、マーフィーによる「マーフィーの法則」的な本棚の異変(本棚にあるものに現れるメッセージ)を関連するものとして解釈し、それを受け取ることで宇宙の法則を解いてしまうというおよそ科学的には想像だにされぬような解釈。

それを描くのがこのインターステラーではないだろうか??

2016年1月15日金曜日

なぜ哲学をするのか?

なぜ哲学をするのか?
ただ知りたいから哲学をするのだろう。
基本的には中島義道が言っていたことを理想としている。中島義道は言う。どうせ死んでしまうのにそれでも知りたいと思う。例えば、子供を亡くした母親がなぜ子供を亡くしたのかを痛烈に知りたいと思うのと同じ。それを知ったところで子供は生き返らないだろうし、一層傷つくだけだ。しかし、彼女はただただ知りたいのだ。
哲学に救いを求めるのは不純であると思う。
しかし、確かに哲学に救いを求めてしまっている自分がいる。

私は考えることで実践からの逃避しているのかもしれない。
しかし、どうにもこうにも実践できないときの逃避というのもある。例えば、自分の死に直面したときにはほとんどの人が何事かを考えるのではないか?
死に直面するときの空白。その空白に哲学が必要なのかどうか。必要な気もするが、必要でない人もいるだろう。
では、哲学することに意味はあるか?
哲学することには全く意味がない。それは哲学以外のこと(ご飯を食べたり、ブランドを買ったり、労働したり、喧嘩したり、遊んだり)に全く意味がないのと同様。
本当はそれは違うと叫びたい。全てのことに意味があると言いたいし、全てのことに意味があると言うこともあるが、それはできない。大した意味ではないから。
意味のあるものという言葉で意味しているものはきっと純粋で完全で絶対的なもので、それを求めているのだから。