2016年4月1日金曜日

インターステラーのマーフィーとは?

クリストファーノーラン監督作の「インターステラー」という映画がある。この映画「インターステラー」において主人公クーパーの娘の名前をマーフィーという。マシューマコノヒーの演じる宇宙飛行士でも科学者でもある主人公クーパーは、「マーフィーの法則」にちなんで娘を「マーフィー」と名付けた。

「マーフィーの法則」とは「失敗する可能性のあるものは、失敗する。」に代表されるユーモラスな諸経験則であり、主に次のようなものがある。

*「いくつかの方法があって、1つが悲惨な結果に終わる方法であるとき、人はそれを選ぶ」
*「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」
*「洗車しはじめると雨が降る。雨が降って欲しくて洗車する場合を除いて。」

基本的な法則は次のようなものである。「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」他の諸法則はこの法則が分化してできたものらしい。

映画では、「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」でマーフィーは兄弟にからかわれていた。
それでマーフィーは怒って、父であるクーパーに聞いた。
「なんでこんな名前にしたの?」って。

トーストが高級なカーペットに落ちるとき、人は「バター塗ったほうを下にして落としたくない」と強く思う。
→俗に最近の言葉では「フラグがたつ」とか言う。
→そう強く危惧していたことほど、実際におきてしまう(つまり、恐れていた通り実際にバターを塗ったほうを下にして落としてしまうのだ)。

だから、フランスやイギリスじゃあ似たような事象を「くそったれの法則」'Sod's Law'"La loi d'emmerdement maximum" と呼ぶww

また、人はよくないことが起きるときのほうが、よいことが起きるときよりも強い印象を受ける。

そうして、その強い印象ばかりが記憶に残っていくので、経験としてはそうした強い印象ばかり集まり、「マーフィーの法則」ができあがるわけだ。

つまり、実際はバターを塗ったほうを下にして落とすことは少なかったとしても、下にして落とす事例のほうが残念に感じて印象に残るために、そのような法則ができあがるのだ。(ちなみに実際に行われた実験ではカーペットの値段には関係なく、バターを塗った面を下にして落とす確率が高いことが分かっている。)

こうして心理学や統計を駆使して考えると、「マーフィーの法則」はおよそ科学的にはあほらしいことばかりである。
しかし、それでもそうした何かの偶然的に見えるなんの関係もなさそうな事象(バターパンとカーペットの値段の関係)であっても、それは一つの法則なのだと法則を見出してしまうのが「マーフィーの法則」なのである。

マーフィーの法則には二つの側面がある。この法則はある真実と言うよりかは、ある種の教訓や注意のようなものである。

A「想定(危惧)しているおよそずべてのことは実際に起きてしまう」

B「まったく関連のないところにも思いもよらない関連がありうる。」

A
およそ想定しうる最悪の事態は、実際に起きる。
最初にマコノヒーがマーフの担任と口論したり、地球の滅亡、最初の星で何も得られていないのにも関わらずの時間のロス、プランAはそもそも不可能であること、宇宙船母船の破損や計画創始者による裏切りなど、およそ起こりうる最悪の事態が起きている。しかし、地球は滅亡は、およそ想定だにされなかったようなこと、つまりはマーフィーの法則を超えたところに解決がある。これが法則の側面Aの側からみたインターステラーである。

B
ところが地球は滅亡は、およそ想定だにされなかったようなことによって解決する。
マーフィーの法則Aを超えたところ、マーフィーの法則Bの中に解決がある。
つまりは未来の5次元空間と、マーフィーによる「マーフィーの法則」的な本棚の異変(本棚にあるものに現れるメッセージ)を関連するものとして解釈し、それを受け取ることで宇宙の法則を解いてしまうというおよそ科学的には想像だにされぬような解釈。

それを描くのがこのインターステラーではないだろうか??

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