アンデルセンの赤い靴の舞踏コンテ・ワカバコーヒー版に現れている新解釈!!
4/11〜12に行われた舞踏コンテのワカバコーヒーによるワークショップ公演「The Red Shoes」
新解釈は、私の友人でもある哲学者がこの公演を見て、あまりピンと来なかったと言っていたところから始まった。
彼はそんなことより鉄パイプ椅子が硬くてお尻が痛いことが気になっていたようだ。
まずは我々が見た舞台「The Red Shoes」 について大筋を描いてみる。
前奏: メガネをかけた黒服白塗りの男が赤い靴について語りながら、少女たちのマネキン人形をたくさん出していく。マネキン人形は彼が見せる赤い靴によって動き出し、ついには踊り出す。この男はいわば 「世にも奇妙な物語」のタモリのような位置付けだった。
第一幕: 口紅を塗り美しくなることに少女たちが取り憑かれて、ついには踊り出すところを描く。私はこの口紅こそが赤い靴の象徴なのだと思っている。
その笑顔は、少し怖く狂気じみている。
最後には靴を外したかのような動きがあり、苦しみなのか解放なのか狂気に陥る。
第二幕: 黒い衣装に赤い靴だらけの衣装を纏ったひとりの西洋老女がゆっくりとした動きをしている。赤い靴の精霊、赤い靴そのものの象徴かもしれない。
赤い靴を履いた片足を強調しつつダンサーたちが、ゆっくりと現れ、その老女を取り囲む。
後奏: 大円団でみんなが踊ってそれぞれがそれぞれの個性を出している。
終幕
もちろん、私の視点なので私の解釈が入っているかもしれないが、およそこのような筋であった。
私の友人はこの第二幕の進行がゆっくりとしたシーンであることが気になっていた。正直、(お尻が痛いからw)早く終わってほしいと思っていたようである。
彼は、観客が積極的に想像力を働かせて関与することで成立する作品には慣れていないのかもしれない。
ここで私は提案をする。
仮にだけど、この「The Red shoes 」が実はあなたのために作られたあなたのための作品だと考えてみるのはどうだろうか?
と。
アンデルセンの「赤い靴」は通常、少女が中心的に描かれている。ここにワカバコーヒーは、第二幕で靴そのものの視点を描いている。
それも、少女からすでに切り離されてしまった靴なのである。だから、第一幕に比べて静かでゆっくりとした動き、もう疲れて動けない。動きたくても、びっこをひきひき、活力がない。
少女は踊り、靴を履き潰す。
靴は少女を踊らせる。
それが靴と少女との関係だ。
例えば、あなたが靴ならば、あなたの恋人があなたを履き潰してしまう。そうして、疲弊するというような見立ては可能だろうか?
そんなことはないと彼は言う。
彼が疲れているのは日夜、哲学に取り組み、真理を探究していることによってだ。実のところ休息がほしい。かなり疲弊しているが、哲学者である以上、真理を探究し続けねばならないと言う義務感によって、真理探究をし続けている。
心の中では誰かブレーキをかけてくれと思っているところがあるが、誰かがブレーキをかけたとしても、他ならぬ自分自身が真理探究を辞めることを決して許さない。
ついには、寝ているときでさえも、夢の中でも考え続けてしまっている。
私は気がつく。
ニーチェは「真理とは女性のようなものだ」と言っていたが、靴があなたのような哲学者だとしたら、それを履いて踊る少女は「真理」なのではないのか?
いわば、真理という少女が靴であるあなたに思考のダンスをさせ続けて止まないという。
彼は反論する。
それはそうかもしれない。だけど、アンデルセンの赤い靴では、首切り役人(絵本ではきこりが多い)に向かって、少女は「足を靴ごと切り落としてほしい」と懇願しているよ。真理が私を切り離したがっていると言うのか??
私は答える。
わかったぞ。首切り役人に向かって、「足を靴ごと切り落としてほしい」と懇願していたのは、実は少女ではなくて、靴のほうなんじゃないのか??
実のところ、少女は踊り続けていたかった。しかし、靴の方はボロボロに履き潰されかけて疲弊していた。だから、靴が少女の声を真似してきこりに切り離すよう懇願したのではないか!?
もちろんそれはアンデルセンの原作ではなく、ワカバコーヒー版の赤い靴だけの表現だ!
ワカバコーヒーはアンデルセンの「赤い靴」に、新解釈を付け加えていた!そして、それはあなたという鑑賞者と私の批評によって今、完成したのだ!
少女と赤い靴はワンセットだ。
少女からしたら、靴が踊りたがり、靴が私を踊らせているのだと感じるだろう。そうして、苦痛の中に喜びがある。それが時折みせる恐ろしい笑顔なのだろう。
一方では、靴からしたら、踊りたがっているのは少女のほうで、少女が私を踊り履き潰すのだろう。
疲弊し切って黒くなった赤い靴の精霊が、ひとり佇み、その最後の自由を堪能しているのだろう。
友人は言う。
私はどうしても哲学をやめられない。やめられるのは死ぬときじゃないのか?(ドイツの大哲学者)カントなんかよりもよほど真理に狂っているよ。
私は気づく。
思えばカントが末期に言った言葉は”es ist gut(it is good.それは良い)”
だった。
あの意味は、人生を振り返って人生は良かったということではない。過去形ではないのだから。彼の人生、つまり哲学から解放されることによる「それは良い」なのではないのか??
もちろん、演出家が我々の想定を意図していたとは到底思えない。
「赤い靴」は、作者や演出家の意図からはすべからく離れ、
我々の中では哲学者の運命を描いた作品になり、一層味わい深くなった。
ワカバコーヒーの赤い靴のTrailer ↓
https://instagram.com/p/DW0u_DsAd2s/
アンデルセンの赤い靴↓
https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/42378_18502.html