「問題
—時間を無駄にせぬためにはいかにすべきか。
答え
—時間の永さを残りなく味わうこと。
方法
—日々を歯医者の控室で坐り心地の悪い椅子に腰掛けて過ごすこと。
日曜の午後を自分の部屋のバルコンで暮すこと。
自分にわからない国語で行われる講演を聴くこと。
最も長く且つ最も不便な汽車の旅程を選び、勿論立ち通しで旅行すること。
劇場の切符売場で行列を作り、しかも切符を買わないこと、等々・・・・」。
カミュ「ペスト」
先日、こんなタイトルの本を見つけた。
「何もしない」
原題は”How to do nothing „
「何もしないでいることほど難しいことはない。
人間の価値が生産性で決まる世界に生きる私たちの多くが、日々利用するテクノロジーによって自分の時間が一分一秒に至るまで換金可能な資源として捕獲され、最適化され、占有されていることに気づいている。
私たちは数値評価を得るべく自由時間を差し出し、たがいのアルゴリズムと交流し、個人ブランドを維持する。
なかには、実体験のすべてを能率化、ネットワーク化することにエンジニア的満足感を覚える者もいるだろう。
とはいえ、刺激が多すぎて思考の流れが維持できなくなるかもしれないというある種の不安は残る。
意識からふと消えてしまう前にそのような不安を捉えるのはたやすいことではないが、
実のところそれは差し迫った感情なのだ。
人生を意義あるものにしてくれるものごとの多くが、
偶然のできごとや、妨害、セレンディピティに由来すると、私たちは今でもわかっている。
それは、体験を機械的に処理する視点が排除しようともくろむ 「なんでもない時間」だ。」
1ページ目はこのような感じだ。
スポンジボブというカートゥーンを思い出した。
蝉が無意味に鳴いている。
本当だ。蝉が無意味に鳴いている。
ミーンミーンミーンミーンミィー
Mean mean mean mean meaning!
尻上がり寿の「真夜中の弥次さん喜多さん」の舞台版より
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