2025年2月27日木曜日

音楽の原体験 〜反復する限り音楽は続く〜


♩(ドー)

まずひとつの音がある。

その前には沈黙があった。



♩(ドー)

またひとつの音がある

その前には休符があった。



♩(ドー)

またひとつの音がある

その前には反復があった。



♩(ドー)反復、



♩(ドー)反復、



♩(ドー)反復、



♩(ドー)反復、


♩(ドー)反復、


♩(ドー)反復、


♩(ドー)反復、

♩(ドー)反復、

♩(ドー)反復、

♩♩♩♪♪♪…限りなく続く反復


音は生まれてはすぐ消える。従って、再生しなければならない。

再生の反復。

反復が秩序を生む。

私は、それが反復だとわかる。

私は、この一瞬に生きているわけではない。

私は、時間の中で生きている。

つまり、私は、過ぎ去った前の音を記憶に保持したまま、次の音を聴く。

刹那にしか生きない者は、

過ぎ去ったものを過ぎ去らせる者は、

すなわち、すべて忘却すべしを旨とする者は、

音楽を聞くことができない。

音楽は、瞬間だけでは成立しない。

音楽は、時間芸術なのだ。

反復しているということは、これが2度目だとわかること、つまり、覚えていなければならないのだ。

しかし、ただの反復はセンスがなかったりする。

そこで、反復は音楽の中で高度化する。

反復は複雑化し、多様化し、隠されるようになる。

フレーズの繰り返しも反復だが、

韻を踏む、これも少し高度化した反復。

メロディーは繰り返されるが

ひとつのメロディーの中にも複数の反復が隠されている。

そうでなければ、メロディーが成立しない


ところで、

芸術は反復である。

否、

芸術は模倣(μίμησις)である。

古代ギリシャからそう言われているが、

模倣(μίμησις)とは何か?

似たものの反復、

同一のものの反復ではなく。

それは、確かに、似たものが反復しているのだけれども、”似ている”からにはそこには何らかの差異があるのである。

高度に隠された反復こそが模倣かもしれない。

似せられたもの、ニセモノ

ニセモノはホンモノを求め続ける。

しかし、ホンモノを求め続ける限り、ホンモノは決して手に入らない。

むしろ、似ていないことによって、ホンモノになれるかもしれない。

To be continued

音楽は未だ終わらない。



体感せよ!


わたしの原体験音楽

谷山浩子、遊佐未森、ケイトブッシュ

音楽的、絵画的

力学的、数学的

力的、関係的

ディオニュソス的、アポロン的

時間芸術、空間芸術

音楽的、絵画的という対比で考える。

音楽は音が生まれては消えるために動的だが、絵画は長い年月で朽ちることはあれど、基本的には動かないようにするために静的である。

そのため、音楽的なものは時間芸術、絵画的なものは空間芸術と言われる。

空間的ではなくて、平面的だろうと言われるかもしれない。

それに、建築の歴史が美術史の最初にある。

絵画は、後から発展してきたもの。

力学的、数学的

力的、関係的

ディオニュソス的、アポロン的

時間芸術、空間芸術


安部火韻


Say something

 Say something の翻訳をしてみました。

Say something, I'm giving up on you

I'll be the one, if you want me to

Anywhere, I would've followed you

Say something, I'm giving up on you

なにか言ってよ、君を諦めちゃいそうなんだ

君が望めば、俺は君だけの存在になれる

君の跡をどこへだってついていけた

なにか言ってよ、君を諦めちゃいそうなんだ


And I am feeling so small

It was over my head

I know nothing at all

そして、俺は、自分の小ささを感じている

それは俺の理解を超えていた

なんにもわからないんだ


And I will stumble and fall

I'm still learning to love

Just starting to crawl

そして、俺は、つまずいて転ぶだろう

俺は、まだ愛することを学び続けている

ようやくはいはいできるようになったばかり。


Say something, I'm giving up on you

I'm sorry that I couldn't get to you

Anywhere, I would've followed you

Say something, I'm giving up on you

なにか言ってよ、君を諦めちゃいそうなんだ

君のこと、理解できなくて、ごめん

君の跡をどこへだってついていけた

なにか言ってよ、君を諦めちゃいそうなんだ


And I will swallow my pride

You're the one that I love

And I'm saying goodbye

そして、プライドなんて飲み込もう

君は俺の愛する唯一の人

そして、お別れを言おうとしている


Say something, I'm giving up on you

And I'm sorry that I couldn't get to you

And anywhere, I would have followed you

Oh-oh-oh-oh say something, I'm giving up on you


Say something, I'm giving up on you

Say something...


2025年2月7日金曜日

あなたの今の夢はなんですか?

幼稚園児の私

サンタクロースになりたい。

(サンタに会うために毎年、徹夜をがんばろうとするができず。)


小学生低学年の私

ニンジャタートルズになりたい(アメコミキャラ)

アメリカに行くために英語を勉強し始め、1日で挫折。


小学生高学年の私

海賊になりたい(ちなみに海賊とは小説「宝島」に出てくるガチで怖くてやりたい放題の海賊であって、ワンピースは海賊ではない)


中学生の私

画家になりたい

(舞台を経験した結果)人生の主人公になりたい


美術科の高校生の私

倫理の教師になりたい(良い高校倫理の教師との出会い)

ダリになりたい


外国語学部の大学生の私

哲学者になりたい

岡本太郎になりたい


ブラック企業時代の私

早期リタイアしたい


今の私

安部火韻になりたい

旅に出たい


そして、大体、叶えたと解釈していますw

2025年1月8日水曜日

否定は肯定だ! 〜否定的であるが故に肯定的なひとつのヘーゲル理解〜

ヘーゲルは、カントだけでなく、スピノザからの系譜をも受け継いでいる。

スピノザの哲学は知っての通り、あらゆるものは神の変容であるという思想である。汎神論

だから、たとえば、「喜びとは小さな完全性からより大きな完全性への移行」であったりする。

すべては神であるがゆえに、いつも真であり完全なのである。

そして、ヘーゲルもまた同じところがある。


例えば、新たに真理を発見するという時、今まで真だったものが真でなくなって、新たな真を見つける、のではなく、真だったものが、より大きな真へ移行するというような形で理解するべきなのではないだろうか。

ヘーゲルはより普遍的な真理へと至る過程も含めて真理と考えてしまうところがあるのだ。

だからこそ『精神現象学』を書いた。

『精神現象学』は精神(自己意識)がさまざまな契機を経ていくところが描かれる。つまり、「これが真理です」と結論がまずあるのではなく、より普遍的なものに至るためのさまざまな過程を描いているのである。


『精神現象学』における序文の最初の文章を読んでみる。

そこにおいては、たとえば主張Aと主張¬A(反A、Aの否定の主張)があるときに、それぞれは互いを否定して、それぞれが自身の正しさを主張して、そこでコミュニケーションが終わりになってしまっていることにヘーゲルは不満を覚えている。

そうではなくて、相手からなんらかの批判がなされる際には、それがより大きな真理へと至るための契機になると考えるように仕向けさせる。

相手がそれを正しいと主張するのは、そこにもなんらかの正しさがあるのだから。


そうして、正と反とは合にいたる道筋を示している。(この言い方はヘーゲル自身がしていないがゆえによく批判されるが)


一方で、ヘーゲル研究の大河内大樹は弁証法についてこう述べている。

「あるものがそれを徹底してやると、反対のものになる」と。


例に挙げて考えてみよう。

ヘーゲルの『小論理学』を読んでみる。

まず純粋な存在を思い浮かべる。

純粋な存在とは、未だ何も規定していない存在。

コップだとか、ペンだとかそうした具体的な存在者ではなく、そこから、具体的な存在者を抜き取って、まだ何も規定されていないもの、存在それ自体、存在それそのもので考えてみる。

そうすると、存在そのものは無規定なので、すでに「無」が入り込んでいる。

そこにヘーゲルは注目する。


存在を徹底すると無になると。


さて、一方で、変化というものを考えてみよう。

つぼみからバラの花が咲く時、つぼみだったものが、つぼみを否定して、バラの花が生まれる時、もっと言えば、つぼみがつぼみでなくなるその瞬間を見てみよう。

つぼみがつぼみでなくなるギリギリの一点はつぼみであったと同時にもはやつぼみではなく、バラの花ではまだないのと同時にバラの花になりつつある。

ここに存在Seinと無Nichtsとが同居しているのを見出して、これを「成」Werdenと名づける。

これは正反合と似ていると感じるのではないだろうか?


また、否定というのはひとつの契機であって、全体として見れば、その契機も「成」においては必要な「真」なのである。

まだ読んではいないが川瀬氏のヘーゲル理解では、流動性がキーワードになっているときくが、私はヘーゲルのこうしたところを連想した。


そしてまた、ヘーゲルには次のような言葉もある。

「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」Was vernünftig ist, wird wirklich, und das Wirkliche wird vernünftig.『法の哲学』

理想が破られたとき、多くの人は「あんなものはただの理想だったんだ。現実を見ろ」と言う。

しかし、ヘーゲルはそうではない。

確かに理想は現実によって否定されるが、それは理想実現に至るための契機に過ぎない。

これは日常で生きていくのにも使える。

何か嫌なことがあった時、否定された時も、これもまたより大きな真理、理想のより実現化可能な方法を探るための契機だと考える。

そんな考え方をヘーゲルは提示してくれているように思う。

否定はそれを徹底すれば肯定であり、真理、理想への前進なのである。


そう考えていくと、ヘーゲル以後、ヘーゲルは否定されたとよく言われるが、ヘーゲルからすればこうだ。

「私を否定せよ。否定されればされるほど、より大きな真理に至れるのだから。」と。笑笑

2024年12月4日水曜日

Unbound 〜箱天使はなぜ転落するのか?〜

断片0

布や糸、繊維によって作品が作られる展示「糸布=if展」。

イフと読む。

ならば、これは仮定(=if)だが、「畏怖」も含意しているとしたらどうだろうか?ー


断片1 

布とはなんだろうか?

布にも心があるだろうか?

「心」の「布」と書いて「怖」という漢字ができる。

ならばあるいは、人は、心の布から逃れて、一糸まとわぬ姿で自由を求めているのかもしれない。


断片2

天使が堕ちると堕天使、すなわち悪魔になるらしい。

が、天地をひっくり返したら、どうなるだろうか?

“The devil’s don’t come from hell, beneath us. No…They come from the sky.” Lex Luther

「悪魔たちは我々の下、つまり地獄からはやってこない。それは違う。空からやってくるのだ。」


断片3

「ところで、何を書きかけていたのだっけ。最後の書きかけは、たぶん「浮」の字の左半分だ。「箱男は浮浪者とは違う」とでも書くつもりだったのだろう。もっとも世間の方では箱男が思っているほど、はっきり区別をつけてはいないようだ。たしかに共通点も少なくはない。たとえば身分証明書を持たないこと、職業に就かないこと、一定の住所を持たず、名前や年齢……」

「それはそうだろう。存在しないも同様の箱男なのだから、いくら殺したって、殺したことにはならないのだ」『箱男』


断片4

天国と地獄

悪魔にとっては天国は神に支配される地獄で、地獄は自分たち自身よって統べる天国、なのかもしれない。悪魔たちを生き生きと描くミルトンの「失楽園」はそれを思わせる。


断片5

こうもり傘はどこまでこうもりに似ているだろうか。


断片6

背後に隠れたあの赤い帽子の意味に気がつくだろうか?


断片7

unbound. 解放

古代ギリシャ悲劇詩人アイスキュロスによるプロメテウス三部作

火を運ぶプロメテウス

縛られたプロメテウス

そして、„Prometheus unbound“「解放されたプロメテウス」

転落なのか、解放なのか、転落こそが解放なのか。


断片8

箱は、創造の種かもしれない。

箱は、記憶を入れておくものかもしれない。忘れられた箱はその口を閉じられてしまう。

箱は、自分だけの小宇宙かもしれない。

箱は、誰かからのお届けものかもしれない。

箱は、秘密を詰めておくものなのかもしれない。

箱は、中身を想像させる物体…

あなたは、これらの箱に何が詰められていると思うだろうか?


キューブリックから、ジョーカー事件に至るまで

 ジョーカーと事件

ちょっとした系譜がありますね。


1962小説「時計仕掛けのオレンジ」(バージェス)


1971 映画「時計仕掛けのオレンジ」(キューブリック監督)


1971 大統領候補のアラバマ州知事暗殺未遂事件

(事件を起こしたアーサーブレマーは時計仕掛けのオレンジに影響されたと日記に書いている。)


1976 映画「タクシードライバー」(アーサーブレマーの日記に着想を得て作られた映画)


1981 レーガン大統領暗殺未遂事件(タクシードライバーに影響を受けたヒンクリーがタクシードライバーのヒロインのストーカーをした後に、レーガン大統領暗殺未遂事件起こす。)


2019 映画「ジョーカー」(スコセッシとデニーロの映画タクシードライバーとキングオブコメディに多大な影響を受けて作られた映画)


2021 日本では、京王線刺傷事件が起きたが。アメリカはどうか??


ダークナイト三部作は事件につながってますね。


ジョーカーに影響を受けた事件のなかでも特に有名なのが、「オーロラ銃乱射事件」。犯人のジェームズ・ホームズは2012年7月20日、コロラド州のオーロラにあるショッピングモールの映画館で映画『ダークナイト:ライジング』の上映中に銃乱射をしました。


ガスマスクをつけたジェームズ・ホームズは劇場の先頭に立って催涙弾と銃を乱射。結果的に12人が犠牲になり、58人の負傷者が出ています。警察の取り調べに対し、自分をジョーカーだと名乗ったジェームズ・ホームズ。


劇場だけでなく自分の住んでいるアパートにも爆発物を仕掛けており、当時相当パニックになった模様です。ジェームズ・ホームズはこの事件を受けて死刑を求刑されましたが、3,318年の拘禁刑判決を受けています。


ジョーカーにまつわる事件のなかで断トツで有名です。ちなみにこの事件を受けて、2019年映画『ジョーカー』は現場になった映画館で上映されませんでした。