2023年3月13日月曜日

魂の不死を証明するカント以前の形而上学?

 魂について

カントは純粋理性批判の中の魂の誤謬推理において

魂が不死かどうかは断定できないという感じでしたよね。

ライプニッツヴォルフ学派の人たちが述べた魂は不死であるみたいな証明に、いや、あれは証明したとは言えないと述べています。


カント以前から、昔からよくある形而上学における魂の不死の証明を紹介します。それらを理解しておくとカントがわかりやすくなります。大体これに似たようなのを論駁したいので。

二つ紹介します。


第一の証明(二元論的)

あらゆる存在するものには、物体と精神とがある。

物体とは延長(空間的なもの)であり、分割可能なものである。

精神とは意識が単一であるように単一であり、魂であり、実体である。

魂は、いわば数学的な点のようなもので幅がない。つまり、空間的ではない。

それゆえ、それ以上分割できないものである。(アトムとかモナドとか)

肉体は物体であり、空間的であり、分割可能なので、死んでバラバラになりうる。しかし、魂はそもそも分割できないため、不死である。


証明終わり。


第二の証明(一元論的)

逆に魂には幅があるけれど不死とする説みたいなのをもあります。


あらゆる物体は無限に分割できるとする。

すると、無限に分割できるということは、そもそもそのような何かがいくら集まっても、数学的な点がいくら集まっても線になることはないのと同じで、決して物体にならない。

ゆえに、あらゆる物体は無限に分割することはできない。

したがって、あらゆる物体を分割すると最終的にはこれ以上分割できないものが残る。実体である。

ところで、魂もなんらかの物体において作用するもののひとつとして構成されているものであり、単体であり、それゆえ実体のひとつである。

魂も分割できないが故に不死である。

証明終わり


カントはそういう証明では全然不十分だよという感じですね。

魂が空間的ではないからといって、消滅しないとは限らないよ。空間的でないものが消滅しないとは証明していない。勝手に思い込みで前提されてるだけだよと指摘したりしています。

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