2018年11月17日土曜日

「ブレードランナー」、あと「フランケンシュタイン」とか


1982年のサイバーパンクの金字塔である映画「ブレードランナー」から35年後の2017年に続編「ブレードランナー2049」が創られた。

 一作目は2019年11月が舞台であり、二作目は2049年冬(おそらく12月)が舞台であり、設定ではちょうど30年の月日が経っている。

 いまやあらゆるものの続篇リメイクが撮られ、もはや描くものすべてが見たことがあるもののパッチワークだというこのシミュラークルな時代において、その主題自体を提示していたこの映画によって、いったいいまさら何を撮ろうというのか?
 そこには、「新しき夢」があるというのか??

という問いはさておき。思うことをつらつらと語りたい。まずは魅力的な人物からはじめよう。
 この続篇映画において最も魅力的だった人物、それはレプリカント(有機的な人造人間)の発明者エルドン・タィレル博士の後を継ぎ、レプリカントの改良を重ね発展させ続けるニアンダー・ウォレスである。ジャレット・レトが演じたその存在からは人間を超越したオーラが醸し出されている。
Niander Wallace

Pain reminds you the joy you felt was real.

「痛みは、自分が感じた喜びが現実のものだったってことを思い出させてくれる」

 

 

Every civilization was built on the back of a disposable workforce.

「全ての文明は使い捨ての労働力によって建設されてきたんだ」

 ウォレスは、多くの従順で有能なレプリカントを作り出し、人間のために働かせる奴隷として売りに出す。その生命の扱いは道具的である。
 さて、ウォレスは生命を作り出す「神」なのか?それとも、創り出した生命を苦しめる悪魔なのだろうか?
(以下、ネタバレもあります)

それはもちろん、悪魔である。

 しかし、確かに彼には神であるかのような部分がある。
 だから、さらに問おう。なぜ悪魔は神のようであるか?

 実は、悪魔とは「神になろうとする者」である。

神か悪魔か、それは現代においては相対的なものである。


次の言葉はその「失楽園」よりアダムの言葉の抜粋である。
Dr. Eldon Tyrell
「ああ、なんという悲惨な人間の姿!人間がかくも惨めなどん底に沈み、かくも哀れな状態に陥らなければならないとは!こんなことなら、生まれないまま、ここで終わっていた方がましだったと思います!なぜ私たちはこんな風に生命(いのち)を与えられ、こんな風に生命を捥ぎとられるのでしょうか。いや、なぜ無理に生命をおしつけられるのでしょうか。与えるものがどんなものか分かっておれば、誰だって生命を与えられようと言われても、それを辞退するか、或は、与えられてもすぐに取り除いてもらうことを願い、静かにそれから解放されることを望むのではないでしょうか。かつて人間は直(なお)く立派に造られました。その人間のうちにある神の姿が、たとえその後人間が罪を犯したとはいえ、あんな非人間的な苦痛に呻きながら見るも残酷な苦悩に苛まれてよいものでしょうか。」

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