こんなイメージ |
それは1931年にユニヴァーサルピクチャーズによって作られた映画の中でボリス・カーロフが演じた怪物だ。
頭にボルトが通っているイメージがあるが、
よく見てくれ!!
頭ではない、首だ!
そのためか「怪物」が「フランケンシュタイン」だと思われている。しかしそれは誤認だ。怪物はあくまでビクター・フランケンシュタインによって作られた名のない怪物なのだ。今でも怪物の名前を誤認している人がいるそうだ。(なので以後、創造者をビクター、被造物を怪物と呼ぶ)
この映画で怪物は首にボルトが入っており、言葉は話せないし、頭も悪いようだ。だが、原作では、ボルトの記述はなく、言葉を話すし頭も良い。
なぜ、このような造形になったのだろうか?私は、ひとつは疑似科学的な説明、もうひとつはゴーレム伝説の関与があると思われる。
原作では、生命創造が何によるものか明示されていないが、ビクターが落雷に衝撃を受けるシーンがあり、初版には落雷の後にビクターの父が凧による実験を行って見せるシーンがある。
これは明らかに、当時の科学に基づいており、また、生命創造は電気によるものであることを示唆しうる。
実際、当時、ガルヴァーニが筋肉を動かすのは電気だと唱えており、(1791年)ベンジャミン・フランクリンが雷が電気であることを凧による実験により証明している(1752年)(実際は凧ではなかったという説もあるし、ガルヴァーニの説による動物電気はボルタにより否定されているが)
それはともかくも、この1931年の映画以後、怪物は電気によってつくられることが常識となる。
続いて、怪物が巨体であることについてだが、原作では8フィートであり、それは肉体のつなぎ合わせ等に際して、巨体のほうが細部に手を加えやすいがためと原作中で説明してある。ちなみに怪物を演じたボリスカーロフは180センチ(5.9フィート)である。
原作とは違って映画の怪物はしゃべることができない。これはなぜだろうか?
ドラクエのゴーレム |
GOLEM(ゴーレム)とは胎児(golim)に由来し、聖書にもたびたび出てくる。旧約聖書「詩篇」第139篇16に「胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。」とあるが、ここで「胎児」と訳されているのが、ゴーレムという単語であるらしい。また、「創世記」第2篇7に「主なる神は、土(アダーマ―)で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。」とあるが、ユダヤの伝承では、まだ命の息を吹き込まれていないアダムはゴーレムと呼ばれていたという。
今ではゴーレムにはさまざまなイメージ・逸話があるが、そもそもゴーレムはユダヤの神秘主義(カバラ)に由来するものである。もともとゴーレム創造は魔術習得の証であり、カバラを受け継ぐ者が習得した秘儀を確認する最終的な自主試験としてあったのだ。
「『創造の書』を理解したということを確認するために、その書物に開陳されている秘密を使ってゴーレムを造る。うまく造れれば、読破は幻想ではないということになる。だからゴーレムの創造は、いわば<知識確認>をするためのものであり、それ以外の目的はない。ゴーレムの創造は本来、無目的なものなのである」(P.33「ゴーレムの生命論」)
(注:『創造の書』とは『セーフェル・イェツィーラー』というユダヤ神秘主義の重要文献のひとつである。)(ゴーレムについて→http://flamboyant.jp/alchemy/alch19/alchemy019.html)
そう鑑みると、原作ではビクターは大学に入る前に錬金術師やオカルトの本を読み漁っていた。中でもビクターが傾倒してたコルネリウス・アグリッパはカバラの研究者であった。(アグリッパについて→https://kokorotoha.com/tetugaku/?p=617)
映画ゴーレムについて→https://blog.goo.ne.jp/hanamamagon/e/0bc23ddcf0ba3559290ab172a53fffb4
→https://therevenantreview.com/2016/03/23/movie-review-the-golem-how-he-came-into-the-world-1920/
二つの映画の気になった部分を比較してみようと思います。こちらをご覧ください。
一枚目が1931年の映画「フランケンシュタイン」で怪物に花をあげる少女、二枚目が1920年の映画「ゴーレムの誕生」でゴーレムに食べ物をあげる少女。
ひょっとすると、この映画「ゴーレムの誕生」の影響があるのかもしれませんね。
0 件のコメント:
コメントを投稿