2015年10月27日火曜日

女性とアート

公判報告
前編】ろくでなし子氏「『バカバカしい』って言葉が一番うれしい」女性器アートの存在価値を主張

【中編】ろくでなし子氏「クレームに怯えるメディアはダサい」まんこちゃんソフビのモザイク処理に苦言

【初公判意見陳述要旨はこちら】
ろくでなし子氏「女性器をモチーフにした作品は、ワイセツではない」初公判意見陳述要旨(全文)
ろくでなしこ:アーティスト、過去の作家に男性しかいないんですよ。女性がいないじゃん。だれもそこはあんまり指摘していないなと思って。
→確かに思い当たらない。アーティストの歴史で出てくる女性はほとんどはアーティストのミューズとして出てくるばかり。
ミューズとしてってのはどういう意味だっけ?
美の女神で、美術館MuseumというのはこのMuseから来ている。
「Museにキスされた」という表現があり、詩人が霊感を得たときに使う。
学問も扱うので、博物館、資料館もMuseum
妙に女性であることを強調しているかんじなのかな
ろくでなしこ:「クレームに怯えるメディアはダサい」
→この発言がもっともだと思った。というのは、
メディアとは、何かを人々に伝える媒介者。
そのメディアがクレームに怯えていては、相手に伝えたいことをゆがまないようにして伝えることができない。
ただ、何をどう伝えるのが正しいのかと聞かれるとそれに応えることは難しいけどね。
女性であることを強調するのは、効果的なことだと思うよ。
歴史においては、黒人はただ黒人で在ることではなく、黒人を強調することで黒人の権利を勝ち得てきたし、
女性もただ女性で在ることではなく、女性を強調することで女性の権利を勝ち得てきた。
最近では日本で一部の右翼も、自らと嫌韓を強調することで、今覇権を広げているし。
サイレントマイノリティはいつも虐げられてきていると思う。
アーティストのミューズとしてでてくる『ばかり』って言ったから、どこにマイナスのニュアンスがあるのか気になった
もちろん、アーティストのミューズとして出てくること自体は悪いことではないが。
ろくでなしこが言いたいのは、アーティストとして評価できるものを残しているのに、それが評価されなかった者がいるのではないかということ。彼女はその再発見を企んでいるようだ。
そういう意味では彼女はアーティストではなく政治家だろう。
あ、フリーダ・カーロがいた。
↑フリーダカーロの絵画

最近、本物の芸術家は、芸術家ではないのではないか。と思うようになった。

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