2015年10月27日火曜日

インターステラーのマーフィーとは?

マーフィーの法則
インターステラーでは娘の名前だったけど、科学者がつけた名前というより、科学者が冗談でつけた名前だな。しかもまさにその娘が本が落ちる現象を法則として意味を理解しようとすることがマーフィーの法則的。
失敗する可能性のあるものは、失敗する。←wwwwww
Everything that can possibly go wrong will go wrong.
実際、ひどい名前じゃないか。マコノヒーはなんでこんな名前付けたんだろうw
もともとfamilynameだし
映画では、ポジティヴな意味だったね
起こりうることは起こる
俺は、マーフィーの法則ってのは、決定論のことかと思ったよw
「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」で兄弟に笑われてたやん
それでマーフは怒って、マコノヒーに聞いたんだよ。なんでこんな名前にしたの?って
トースターが高級なカーペットに落ちるとき、人は「バター塗ったほうを下にして落としたくない」と強く思う。→俗に最近の言葉では「フラグがたつ」とか言う。→そう強く危惧していたことほど、おきてしまう。
だから、フランスやイギリスじゃあ「くそったれの法則」と呼ばれるww
イギリスでは、'Sod's Law'(「こんちきしょうの法則」)と言われ建物解体業者の常套句として使われ始めた。尚、Sodの語源はSodomite、つまり『旧約聖書』に登場する退廃の街ソドムの住民であるという。
フランスでは"La loi d'emmerdement maximum"(「糞ったれの法則」)と呼ばれる注意を促す表現がある。
これはむしろベンサムの考える禁欲主義の幻想ようなものだ。
ある種の快楽が、ある状況のもとに生み出される場合に、長い目で見ればそれをうわまわる苦痛をともなう。→すべてのものを非難するはめに・・。
人はよくないことが起きるときのほうが、よいことが起きるときよりも強い印象を受ける。そうして、その強い印象ばかりが残っていくので、マーフィーの法則ができあがるわけだ。
法則としてすべてに適用させようとする。
例えば、「かいは物を壊す」とかね
それはマーフィーの法則じゃないだろいがw
実際は壊さないほうが多いのに、壊す事例がちょっと変わっていたりして印象に残るために、そのような法則ができあがるのだ
かなり確からしい原理だ。
今は改善されたけどw
昔は壊す好機を逃さない男だったw
インターステラーでは、地球の滅亡やプランAの失敗、宇宙船母船の破損など、およそ起こりうる最悪の事態が起きている。地球は滅亡は、およそ想定だにされなかったようなこと。つまりはマーフィーの法則を超えたところに解決がある。つまりは未来。それを描くのがこのインターステラーではないだろうか??
つまりは未来、のところの繋がりがよきわからない。
そこの繋がりを言葉にできたら、すごく魅力的な解釈だ!
マーフィーの法則には二つの側面がある。この法則はある真実と言うよりかは、ある種の教訓や注意のようなものである。
A「想定(危惧)しているおよそずべてのことは実際に起きてしまう」
B「まったく関連のないところにも思いもよらない関連がありうる。」
インターステラーでは、最初にマコノヒーがマーフの担任と口論したり

、地球の滅亡、最初の星で何も得られていないのにも関わらずの時間のロス、プランAはそもそも不可能であること、宇宙船母船の破

損や計画創始者による裏切りなど、およそ起こりうる最悪の事態が起き

ている。これが法則の側面A。ところが地球は滅亡は、およそ想定だにされなかったようなことによって解決する。マーフィーの法則Aを超えたところ、マーフィーの法則Bの中に解決がある。つまりは未来の5次元空間と、マーフィーによるマーフィーの法則的な本棚の異変を関連するものとして解釈するというおよそ科学的に想像だにされぬような解釈。それを描くのがこのインターステラーではないだろうか??

起こりうることは起こる
俺は、マーフィーの法則ってのは、決定論のことかと思ったよw
よく意味がわからんw
起こることは起こる、ならわかるけど。。。
起こりうることは起こる
起こることは起こりうる
まいご
起こりうることが起こるなら、我々は推論する必要がない。
「起こりうることは起こる」とはどういうことか。
無限に時間が流れているものとする。ここに6面のサイコロがある。サイコロをすでに10000回振った。10000回振ったときに出た目は「1,2,3,4,5」であり、10000回振ったのにも関わらず、未だ「6」は出ていない。特に6が出ない原因は、サイコロを振るときに他の目と比べて同等であるため、考えられない。今後もサイコロは振り続けられるものとする。サイコロの6はいつか出るだろうか?それともけっして出ないだろうか?
このとき、今後、実際に600000回振ったとしてもその答えは出ない。というのは、「サイコロの6の目は【いつか】出るだろうか?」というのが問題だからだ。
サイコロの6が出る不可能性がなく、時間が無限なのだから、いつかは起こるだろうとしか言いようが無い。
結論:起こりうることは起こる。
起こりうることは起こりうる、でしかないと思うよ
起こる、は事後的にしか語り得ない。
推論と事実を架橋することはその意味で不可能だ。

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