「うるう秒」の調整について読んで思い出したこと
確か、ドゥルーズという哲学者が理解するカントの思想にヒントを得たことだったと思う。
人間は、自然とは常に合理的なものであると考えられてきた。そうして、その理念によって人は自然科学を推し進めることができた。
ところが、科学が推し進められて分かったことは実は自然は非合理的なものであり、完全には解することができないのだ。
合理性とは人間の考え出した幻想とまではいかなくとも、さしあたって、われわれには対象を理解するためには合理性と感性しかないのだから、それで理解するしかないのだと。
結局はそうしてできた自然と合理性とのズレを認めなくてはならないと。
そのひとつの結実が観察者が観察することが対象に影響を及ぼし、またその先は可能性によってしかはかることができない量子力学である。
うるう秒もまたそういうものだろう。
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