「メタ的な」とか、「メタ表現」など「メタ」という言葉を「超越的な」という意味で使う人がいる。
しかし、正確には微妙に違う。
メタはもともとメタフィジック[ドイツ語ではメタフィジークMetaphysik]で形而上学を意味する言葉から、取り出された接頭辞。
超越的はトランスツェンデント[Transzendent]と言います。
メタフィジックはそもそも古代ギリシャ哲学者アリストテレスが書いた本「タ・メタ・タ・フュシカ」で[自然学の後に]という意味のギリシャ語であり、
この名前の本がMetaphysik という訳語で有名になることで、メタの意味が広がった。
そして、
カントはメタフィジークとトランスツェンデントとトランスツェンデンタールの3つを区別するけれど、これがまたなかなか微妙な違いである。
メタフィジークMetaphysik(形而上学): カントは私の読みでは形而上学を二つに分けている。ひとつはアリストテレスが第一哲学、存在者一般に関する原理を扱う伝統的な形而上学で、ヴォルフによって超越的な概念(神、霊魂、時空間たる宇宙全体)を扱う学問として整理された。カントにより独断的で、学問として信頼がないとされる。
もうひとつはカントの批判を経たあとの、学問としての形而上学。代表的なものとしてカントの著作をあげると、「道徳の形而上学」がある。
トランスツェンデントtranszendent(超越的): 神の存在、霊魂の不死、時空間そのものとしての宇宙全体の始原などの概念は全く経験に由来せず、それを超えており、超越的であり、その探求は独断的にならざるを得ない。伝統的な形而上学が探求してきたもの。
トランスツェンデンタールtranszendental(超越論的、先験的): 経験に先行して超越しているけれど、経験、および認識一般をを可能にするという意味で、経験、および認識一般を支えているという意味合いが含まれている。そして、自身の認識そのものを認識しようという意味で自己言及的でもある。
しかし、その後、[メタ]という言葉で言い表されているものには次のような超越論的な視点が強調されて含まれるようになってきた。(もともとアリストテレスもそういうスタンスだと言えなくもなさそうな気もしますが。)
・自己言及的(再起的)な視点
・ある認識(や学問)そのものを支える認識(や学問)。非経験的で、経験に論理的に先行して(アプリオリに)基礎としてありうるような学問。
・あるものの枠を超えた別の視点から枠そのものを見ていく。(枠組み相対的)
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