7:01すぎに日の出を見ました。
元旦を0:00に祝うっておかしいのではないか?
「明けまして」とは日の出を意味しているのではないだろうか?
もともとは、日没に年が終わり、日の出と共に新年が始まるというものなのではないだろうか?
それが時計の発達によって近代的時間をもとに人々が行動するようになった。
シンデレラも、ディズニー化する前のもとの童話では、日没に魔法が解けるという設定なのである。つまり、0:00を基点とすることは近代的な時間なのである。
確かに時計的な時間は刻む仕方としては正確ではあるが、0:00が0:00であることの天文学的な根拠はない。むしろ、昼の12:00のほうが天文学的な根拠で決められていて、0:00はたまたま等分割されてできたものなのである。
0:00を境に日付を変えるのは、どちらかというと偶然的で技術的で文化的にできたものなのである。
どちらかというと、日の出が本当の年始。「明けましておめでとう」に意味としてふさわしいのではないか?
歴史的な経緯は置いておいても、時計の表示を見ながら、年明けを感じるよりも、日の出のほうが年明けを体感的に感じれるから、お勧めだ。
しかし、そもそも元旦という日にはどういう根拠があるのだろうか?
元旦は長い歴史の中でたまたま制定されたもので、そこまで天文学的な理由はない文化的なものである。多少はあるけれど。
具体的には、かのローマ帝国時代のユリウス暦やそのあとのグレゴリオ暦によって。
ここで提案だが、
この際、むしろ本当の一年を天文学的に太陽と地球との関係で決めるのはどうだろか?
ローマ帝国でも流行った宗教ミトラ教では、太陽神ミトラを崇めるために、一年のうちで最も太陽が出ている時間が短い冬至を太陽が生まれたばかりの日として祝い、前日の日没から聖なる夜として日の出待ち望んで儀式したりパーティしていた。収穫が終わって蓄えもあるし。
これがクリスマスの起源だが。
むしろ、これにならって冬至を一年の締めくくりにしてみようと私は思い、先日、友人と日の出を見に、日の出が見える温泉に行った。(現在は冬至がズレて今年は12/22が冬至なので、12/22にした。)
そうして、古代に還ったつもりで、我々は冬至に”明け”を祝った。
とはいえ、世間にはなかなか抗えないので、明けましておめでとう!
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