ジェーン・バーキンのL’aquoibonistラクァボニスト、俗にいう「無造作紳士」と訳されている歌を久しぶりに聞いた。
https://youtu.be/-uqUyGRRZYo?si=9O8hdwnbKPOzrCBv
C'est un aquoiboniste
Un faiseur de plaisantristes
Qui dit toujours à quoi bon
À quoi bon
彼は「どうでもいいよ」主義
悲しげな冗談好き
いつも、言ってる。それが何?
どうでもいいよ
Un aquoiboniste
Un peu trop idealiste
Qui répéte sur tous les tons
À quoi bon
彼は「どうでもいいよ」主義
そこそこの理想家
いろんな調子で繰り返す
どうでもいいよ、って
(歌詞和訳は次のブログによる↓)
https://furansu-go.com/l-aquoibonist/
🎶〜スト♬〜スト♬〜♪アックァボン🎵
1行目と2行目はかならず脚韻を「〜スト」で終わって、最後はアックァボンで終わらせている。
このアックァボンが耳に残り、余韻が楽しめる。そんな歌である。
このアックァボン「A quoi bon」とは、「それには何の価値があるのか?」という意味で反語にもなるらしい。
というわけで、アクァボニストとは、
「A quoi bon」→aquoibonist
すぐに、「それに何の意味があるの?」と問う人を意味する造語らしい。
「何の意味があるの?」と問う人
→「何の意味もないよ」と言う人
→「どうでもいいよ」主義者
→無造作紳士
このように解釈がなされて無造作紳士という和訳になったらしい。適切かどうかは議論の余地がありそうだ。
そういえば、私は哲学をやっているのだが、哲学にはすぐにアクァボニスト(aquoiboniste)がやってきて、「(その哲学的な議論や小難しいことを考えることに)何の意味があるの?(a qoui bon?)」と言われる(笑)
だが、歌詞を何度か読んでいて見えてきたのは、
むしろ、このギターを弾くのが下手なアクァボニストのほうがショーペンハウアー気質で皮肉屋の哲学者っぽい。彼はそこそこの理想主義者であるために、世の中を無意味に感じていて「何の意味があるの?何の意味もない」と悲しいジョーク、つまり皮肉を交えながら断じているのだ。そんな様子が思い浮かぶ。
そして、彼をアクァボニストと呼んでいる歌詞を書いた女性が彼に向かって逆に「(そういうあなたの言う皮肉やらに)何の意味があるの?(a qoui bon?)」返すというそんなイメージまで浮かんできた(笑)
これを踏まえ、1バースだけ返歌を作ってみた。
「無造作淑女」
C'est une aquoiboniste
Une peu trop realiste
Elle me demande, moi l‘idealiste
A qoui bon
彼女はアクァボニスト
ほどほどにリアリスト
イデアリストの僕に訊く
何の意味があるの?
まあ、返歌を作ったところで何の意味があるの(a qoui bon?)だろうか(笑)