2023年10月31日火曜日

自由に読もう
















 私の読書方法の勧め。

もっと自由に読め!


途中から入ってきてすでに流れている会話の空気は読まなくていいのです。同じ質問でもしちゃっていいのです。文脈断ち切ってもいいのです。何の話してるのか聞いたらいいのです。読み飛ばしてもいいのです。もちろん、できる限り読んだ方が“より良い“かもしれませんが。義務ではない。


読書もそう。個人のものなので、読まなくて良い。むしろ、読めないようなどんな読み方をしても良い。


読まずに眺めながらめくる。

気になる目次のページだけ読む。

後ろから読む。

斜めに読むと「うんこ」と読めるところを探す。

クソ難しい熟語だけ探して読む。

最初だけ読んで、あとは本を閉じて勝手に妄想する。

いちゃもんつけながら読む。

ツッコミながら読む。

音楽を聴きながら、音楽に合わせて読む。

ヒップホップのビートに乗せて、朗読する。

かっこいい文を見つけて描き抜いて暗記する。

この章だけを完璧に読解する。

写真は文喫に行った時のもの。2023/02

関連ブログ 安部火韻の哲学との出会いと読書術

https://iranaiblog.blogspot.com/2024/01/blog-post_25.html


2023年10月25日水曜日

映画アマデウスとドン・ジョバンニ





 映画アマデウス

私だけがモーツァルトの天才を分かっている。

なんて悔しいんだ!

他の人はみな私のことを評価していて、モーツァルトの天才性を理解していない。

だからなおのこと悔しい。

あまりに悔しくて、モーツァルトを私だけのものにしてしまいたい!


みたいな映画だった気がします。


あと、歌劇ドン・ジョバンニと映画とが掛け合わされていた気がします。

ドン・ジョバンニとは、ドンファンのこと。

次から次に女性をたぶらかすヤリチンが懲らしめられる話で、


原型はスペインのティルソデモリーナという僧侶の「セビリヤの色事師と石の客人」

ドンファンはたぶらかされる女性の父親を間違って殺してしまうが、父親は石像としてやってきて、最後は懲らしめる。


ところで、モーツァルト自身もドンファンのようなヤリチンである。

そして、脚本のそのこらしめる父親がモーツァルトのイメージでは、モーツァルト自身がとても恐れている厳父で、そのイメージで歌劇ドン・ジョバンニを作った。

サリエリはこれを利用して、モーツァルトを苦しめる。


劇中劇が入れ子になっているところがおもしろいところのひとつだった気がします。

映画の中の舞台ドン・ジョバンニでは、

ヤリチンのドン・ジョバンニが死んだ騎士団長(ヤリステされた娘の父)の石像に苦しめられる話。


映画アマデウスでは、

ヤリチンのモーツァルトが死んだ自分の父に化けたサリエリに苦しめられる話。


同じ構造のものが中にも外にもある。入れ子構造。


ちなみに私は来年2024年、「セビリヤの色事師と石の客人」でスペイン公演するかもです。端役ではありますが。ゴールデンウィークには愛知公演もあります。

実はコロナでずっと延期していたもので、下のチラシは当時のもの。来年のチラシはでき次第お知らせします。



関連ブログ: 破滅へいそぐドン・ファン ~フロイトの人間像とドン・ファン像、そして過剰なもの、表現~


2023年10月24日火曜日

哲学とは何か?

 哲学とは何か?


哲学はギリシャ語でフィロソフィアと言い、知を愛すると言う意味である。


これを考える時、始めやすいのがソクラテスの無知の知だ。


聴いたことあるだろうか?


2023年10月9日月曜日

そもそも「この世界が仮想世界である。」とは、どういうことを意味しているのだろうか。

 そもそも「この世界が仮想世界である。」とは、どういうことを意味しているのだろうか。

仮想現実とは、「現実のように感じる仮想」、「現実性、現実感、realityを持った仮想」のことを指していると思われる。

仮想とは、実際には存在しない事物・現象を想定(想像)して、仮にあるものとして考えること。つまり、仮想とはsimulation を意味する。(ラテン語でsimulacrum は蜃気楼、像、偶像、幻影、幽霊、空想、模倣などの意味がある。)

他には例えば、仮想敵国は英語で、 hypothetical enemy であるが、 hypotheticalとは hypothere (仮説)

であり、古代ギリシャ語ὑπόθεσιςが語源である。また、仮説という意味の他、前提という意味もある。

仮にその言明を前提にして話を進めるのが仮説である。似ているという意味合いが強いsimulation よりも、 hypothesia の方が仮想の意味により合致しているかもしれない。

しかし、通例では、仮想現実とはバーチャルリアリティ( Virtual readity )の訳語である。 virtual とは元々は仮想という意味ではない。

その語源や意味を調べてみよう。