2023年10月25日水曜日

映画アマデウスとドン・ジョバンニ





 映画アマデウス

私だけがモーツァルトの天才を分かっている。

なんて悔しいんだ!

他の人はみな私のことを評価していて、モーツァルトの天才性を理解していない。

だからなおのこと悔しい。

あまりに悔しくて、モーツァルトを私だけのものにしてしまいたい!


みたいな映画だった気がします。


あと、歌劇ドン・ジョバンニと映画とが掛け合わされていた気がします。

ドン・ジョバンニとは、ドンファンのこと。

次から次に女性をたぶらかすヤリチンが懲らしめられる話で、


原型はスペインのティルソデモリーナという僧侶の「セビリヤの色事師と石の客人」

ドンファンはたぶらかされる女性の父親を間違って殺してしまうが、父親は石像としてやってきて、最後は懲らしめる。


ところで、モーツァルト自身もドンファンのようなヤリチンである。

そして、脚本のそのこらしめる父親がモーツァルトのイメージでは、モーツァルト自身がとても恐れている厳父で、そのイメージで歌劇ドン・ジョバンニを作った。

サリエリはこれを利用して、モーツァルトを苦しめる。


劇中劇が入れ子になっているところがおもしろいところのひとつだった気がします。

映画の中の舞台ドン・ジョバンニでは、

ヤリチンのドン・ジョバンニが死んだ騎士団長(ヤリステされた娘の父)の石像に苦しめられる話。


映画アマデウスでは、

ヤリチンのモーツァルトが死んだ自分の父に化けたサリエリに苦しめられる話。


同じ構造のものが中にも外にもある。入れ子構造。


ちなみに私は来年2024年、「セビリヤの色事師と石の客人」でスペイン公演するかもです。端役ではありますが。ゴールデンウィークには愛知公演もあります。

実はコロナでずっと延期していたもので、下のチラシは当時のもの。来年のチラシはでき次第お知らせします。



関連ブログ: 破滅へいそぐドン・ファン ~フロイトの人間像とドン・ファン像、そして過剰なもの、表現~


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