哲学とは何か?
哲学はギリシャ語でフィロソフィアと言い、知を愛すると言う意味である。
これを考える時、始めやすいのがソクラテスの無知の知だ。
聴いたことあるだろうか?
ソクラテスは「あなたは知らないのに知っていると思っているが、私は知らないので、その通り知らないと思っている。」と言ったらしい。そしてこれを「無知の知」とか正確には「不知の自覚」とか言う。
「私は知らない」ということを自覚しているから、知りたいと思う。
ここでの「愛する」とは「求めること」を含意している。”知”がないから、知を得たいと思い、知に恋い焦がれること。
ところが、ほとんどの人は「私は知っているが相手は知らない」と思っている。
それゆえ対話は自己防衛がほとんど。
そうして、ついつい相手に言ってしまう。
「おまえはおまえ自身が無知だということを知らないんだねw」と。
まず「私も実は知らないのだけれど、一緒に考えてみようか...」と話し始めた方が良い。
そしてまた、アイロネイアというのが重要。アイロネイアは「皮肉」と訳されるため、いい印象ではないが、ソクラテスのアイロネイアは違うように思う。
ソクラテスのアイロネイア
ソクラテスは知っていても知らないふりをして、話し始める。
言い方次第では、皮肉になり、相手を怒らせる言葉になるので気をつけなければならないが。
まず、一旦、「私の知っていると思っていること」をかっこにいれて、「私は知らない」ということにしてしまう。すると、もう一度、それを一から考えるということを意図的にすることができる。
ちなみに、一旦、かっこにいれることはエポケーとも言う。
これがデカルトの「方法的懐疑」にもつながる。
方法的懐疑とは、知るための方法として、あえて疑ってみることである。
普段「これこれはこうだ」とすぐに断定してしまうことはたくさんある。それは「これこれはこうだ」と思っていることを無意識に無批判に信じて生きているからである。しかし、それを疑ってみて一から考える。もう一度振り出しから考えてみる。もちろん、もう答えは出ているために馬鹿らしいと思うかもしれないが、それだからこそ、疑ってみる。
それが哲学を始める上でとても大事。
その意味では哲学は破壊的とも言える。
最後に、
難問に当たった時、問いをペンディングする力が必要である。
ペンディングとは保留のことである。
一旦、置いておく。答えは出さないでおく、諦めるわけでも、答えを出して断ずるわけでもない。
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