2023年6月20日火曜日

そのメッセージは誰に宛てられているのか?

 郵便

「きっと目にうつる全てのことは メッセージ 」荒井由美


あなたが読み取ったあらゆるメッセージの宛先はあなたにある。なぜなら、あなたがそれを受け取ってしまったから。

たとえ、それが誤配であっても。

あなたにあてられていないメッセージは存在しない。あなたに宛てていない何かしらのメッセージを開くと、もうすでにあなた宛のメッセージになってしまっている。


それは、むしろ、あらゆるメッセージは実はあなたに向けられていないということかもしれない。すべてが誤配であるという意味において。つまり、あなたは間違って受け取り続けている。


どのように間違っているのかというと、それは差出人の意図通りではないという点においてである。常に、齟齬があり、何かがズレている。


これらの私の言葉も。


あなたはこれらのメッセージをあなたが受け取りたいように受け取る。そんなことはないとあなたは思う。受け取りたいようには受け取ってはいないと。

正確には、小さなあなた(私という意識)が受け取りたいように受け取るのではなく、根源的な大きな私(無意識的な!?)が受け取りたいように受け取っているのだ。


これらの私の言葉も。


そうして、

メッセージの深淵を見つめると、やはりメッセージもまた深淵から私を見つめ返す。

気がつくと、深淵には私自身が映っている。

私に送られたメッセージとは、常にすでに私の中にあったメッセージでもあるのだ。

受け取れないほどの強いメッセージは、受け取れない。

私を撹乱する。

とは言ってもやはり何らかの意味では受け取ってしまっている。

だから、私は反応できる。


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