郵便
「きっと目にうつる全てのことは メッセージ 」荒井由美
あなたが読み取ったあらゆるメッセージの宛先はあなたにある。なぜなら、あなたがそれを受け取ってしまったから。
たとえ、それが誤配であっても。
あなたにあてられていないメッセージは存在しない。あなたに宛てていない何かしらのメッセージを開くと、もうすでにあなた宛のメッセージになってしまっている。
それは、むしろ、あらゆるメッセージは実はあなたに向けられていないということかもしれない。すべてが誤配であるという意味において。つまり、あなたは間違って受け取り続けている。
どのように間違っているのかというと、それは差出人の意図通りではないという点においてである。常に、齟齬があり、何かがズレている。
これらの私の言葉も。
あなたはこれらのメッセージをあなたが受け取りたいように受け取る。そんなことはないとあなたは思う。受け取りたいようには受け取ってはいないと。
正確には、小さなあなた(私という意識)が受け取りたいように受け取るのではなく、根源的な大きな私(無意識的な!?)が受け取りたいように受け取っているのだ。
これらの私の言葉も。
そうして、
メッセージの深淵を見つめると、やはりメッセージもまた深淵から私を見つめ返す。
気がつくと、深淵には私自身が映っている。
私に送られたメッセージとは、常にすでに私の中にあったメッセージでもあるのだ。
受け取れないほどの強いメッセージは、受け取れない。
私を撹乱する。
とは言ってもやはり何らかの意味では受け取ってしまっている。
だから、私は反応できる。
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