最高の贈り物は、未来の受け取り主に対して贈られる。
贈り主は、未だ贈り物を受け取っていない受け取り主しか知らない。
だから、受け取り主が受け取った姿を僕ら贈り主は想像するしかない。
受け取り主が過去に欲しいと漏らしていたものなら想像するのは比較的簡単だろう。
そうでないものはすごく難しい。
間違えるとその贈り物は相手の趣味に全く合わないかもしれないし、気を遣わせてしまう迷惑なお節介みたいなものにもなりかねない。
きっと気にいるだろう、そう信じるしかない。
不安と期待の中で贈られる。
逆に、最初は受け取り主が気に入らなくても、いざ使ってみたら「意外によかった」なんてことすらあるのだ。
そういう意味で、最高の贈り物は、現在の受け取り主ではなく、未来の受け取り主に対して贈られるのだ。
逆に、僕が受け取り主ならどうなのか?
欲しかったと思っていたものが贈られてくることはとても嬉しい。
でも、むしろ自分では絶対に買わないから、贈られることがないと手に入らないものが贈られてくるかもしれないというのが贈り物の醍醐味なのではないだろうか?
受け取ってみて、まあ嬉しいけど使わないなとか、え、どういう意味でこれを僕に贈ったんだろう?と思ったりすることだってある。
でも、前から欲しかったものだって、いざ手に入れてみたら違っていたり、タンスの奥にしまったままになってしまうことだってあるんだ。
贈り物というのはたぶん一つの大きな賭け。
冒険なんだ。
ニーチェが贈った贈り物論。
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