2010年11月30日火曜日

探し物2

「探し物」と書こうとして
「探す」と入力してから、おっと間違い、一字消して「しもの」と入力
変換すると「死もの」と出てきた

「・・・・・!」

探死者・・・・。



君は何かお探しかな?

探し物

図書館で探しているものが見つからない
彼はまるで自分を捜しているようだった
おどおどしているような
何か抜けているような
話しかけても聞いているけど聞いていないような

「あいつに会ったけど、何か探しておどおどしていたな。」
そして、あいつとは私だった。
2009年冬

不吉なカラス―ある日の夢―

始め3人いた。わたしと2人の友達。私たちは講義を受けるために、急いでいる。時間がない。裏側へ行き、そこで3階に上がるのだが、あるはずの場所にエレベータがない。階段もない。私たちはうろつく。ある部屋に入ると、そこは研究所だった。科学か或いは家庭科のような匂いがする。白いカーテンが下がっていた。ここにあるのではないかと、その中をうろつく。白いカーテンに人影が見えた。1人の老人の姿が見え、彼は言う「やっと来たか」彼は紙を取り出し、私たちに名前を聞く、どうやら研究員か何かと間違えているらしい。私たちは、訂正し、どうしたら上にあがれるのかと聞いた。その人は顔が皺くちゃで背が低く、よく見ると、老婆だった。いつの間にか私の二人の友人は老婆の肩をもんでおり、彼女はその二人を上へ連れて行った。友人はなんと老婆を担いで上がって行った。しばらく待つと、老婆が下りてきて、今度は私が彼女の肩をもんだ。しばらくして、外から雨の音がするので、私は洗濯物を取り込もうと、ベランダへ寄った。見ると、洗濯物にカラスが留まっていた。私は戸を開けると近くに会った棒でカラスをつついた。洗濯物が汚れている。カラスは去ろうとしない。一羽見慣れない鳥が留まり、その横の洗濯物には2羽留まってベランダは糞尿でとても汚い。わたしはそれを見て、寒気がした。不吉だ。

2010年11月29日月曜日

孤独の穴



心のなかに穴が空いている
大きくて深くてまっくらな穴
わたしの気という気を全て吸い込んでしまう穴
船酔いしているような悪い気分
悲しくてたまらないのに涙が出ない
わたしは恋に破れたわけではない
お金に困っているわけではない
身体に障害があるわけでもない
人間関係に何か悩みがあるわけでもない
友達が、仲間がいないわけでもない
いまもさきも過去も明るいはずなのに
なぜかわたしの心は暗いしかなしい
ああ、孤独
なぜこんなに孤独を感じるのか
外はこんなにも晴れているのに
鳥は歌い人々は楽しそうにしているのに
わたしはなじめない
わたしは世界のなかにいるはずなのに
わたしは世界から切り離されている
2010年3月3週間目Dusseldorfにて


孤独の矛盾
穴がぽっかりあいているのに、その穴が閉ざされているのはなぜ?
熱さが渦巻いているのに、とても寒いのはなぜ?
空虚なはずなのに、何かがいっぱいいっぱい詰まっているのはなぜ?
外は晴れているのに、私の内はじとじと雨が降っているのはなぜ?
中身は空っぽなのに、非常に重たいのはなぜ?

安部火韻

2010年11月27日土曜日

実在妖精報告。

昨日、その子を見た。その子は地面をうろつきまわって、たまに何度か羽をばたばたさせていたけど、飛べないみたいだった。その子はたった一人でよたよたとあるきまわっていたが、そこはアスファルトの道の真ん中だったので危ない。僕はその子を隅のほうへ追い立てた。そのとき、大きな声で怒鳴られた。上を見ると親がいた。その両親は僕に向かって威嚇し、その子に構うなと警告を立てた。僕は安堵した。「ちゃんと両親が見守っていたんだ。」僕はカメラもスケッチブックも時間もなかったのでノートを取り出すと時間の許す限りスケッチした。両親はまだ僕に向かって威嚇する。その子はよたよた歩きだしたり、立ち止まってじっとしたりしている。でも何かがおかしい、親と体格が違う。何だか不格好だ。よく見ると羽はあるのだが、尾羽が見当たらない。尾羽がないから飛べないのだろうか。それとも隠れていて見えないだけなのだろうか。巣から落ちてしまったのだろうか。そしてその時になんらかの傷を負ってしまったのだろうか。その不格好な幼いカラスはいつ飛ぶのだろうか。
そして、僕らはいつ飛び立てるのだろうか。2010.6月

2010年11月24日水曜日

講演の教訓

ある講演会を聴いて得たこと
教訓1、時間内に収めよ。時間をオーバーする人は内容をしっかりと理解していないから、短くできないのである。
教訓2、自分でもわけが分からないところは引用しない。
教訓3、少なくとも論点をしぼって見つけ、掘り下げるべきである。でなければ、ただの情報整理とその説明に終わってしまう。
教訓4、以上のような教訓は反面教師によって得られる。優秀な反面教師を探せ!

2010年11月10日水曜日

私の無意識探究1

僕が人々を恐れるのにはどんな意味があるのだろうか?
人々の作る世界から疎外されているという孤独感→奴との関連 ?
僕が奴を避けるのはなぜだろうか?
気持ち悪いというのは直接的な原因ではない
精神的に傷つけられたことか?
どうして奴の発言や行動が私の心を傷つけたのだろうか?
劣等感?奴の軽蔑したような目。
私が奴より劣っているということになぜ固執しているのか
本当に劣等感なのだろうか?元々奴に対する劣等感だってあったはずであるのにそのころはなぜうまくいったのか?
いらっとくる瞬間「ちょっとくらい多めに見ろよ、すぐに感情的になりすぎ」エゴイズムそしてエゴイストであることの開き直り。

静的な感覚を求めて

どこへ逃げても不安からは逃げられない
誰もいないという感覚がきえない
一人になりたいのだ
夜の街なのに何かが騒がしい
夜の街なのに誰かがいない
星も少なくなったものだ
昔は天上にあったのに、今は皆地上にある
一人になりたいのだ
静かなる一瞬を感じたい
全てがキリコの絵のように
無機物的に
死的というものはそういう味わいをもっている
(2008年)

2010年11月3日水曜日

判断

机に触って冷たさを感じるとき、「冷たさ」は手(自分)の方にあるのか、それとも机の方にあるのか?

私は机冷たいと感じ、彼は暖かいと感じるから冷たいのは私の方にあるというのは妥当か?

机にはなんらかの温度があってそれを私や彼が判断しているのだから、やはり温度という意味では冷たさは机の方にあるのではないか?

絵を見て面白いと感じるのは私だが面白いのは絵であって、私ではない。それとも面白いのは私であって絵が面白いのではないのか?

絵を見て面白いと感じるのは私だが面白がらせるのは絵であるのか?やはり面白いのは絵なのか?単に判断主体と被判断対象との違いか?

私は絵を面白いと感じたのか、それとも面白いとみなしただけなのか?

判断されるには少なくとも何らかの判断対象がなくてはならない。

言葉で表されうる「冷たさ」は私にあって個別の「その冷たさ」は机の方にあるのかもしれない。

その個別の「その冷たさ」でさえも私の方にあるのだろうか。