質問: 純粋理性批判の翻訳の定番はあるのか?
研究者でなければ、誰の訳でもよいよ。そして、研究者なら、全ての人の訳を買い、ドイツ語を読めと言われるw
“transzendental“の翻訳は「先験的」か「超越論的」かで研究者も分かれている。「超越論的」のほうが優位にあるが。
質問: 岩波のはあまりよくないとか?
まあ、確かに、篠田訳は誤訳多いとは言われます。
わかりやすいと言われるのが、中山元の訳ですが、分かりやすくすると厳密性が失われやすくはなりますね。
天野貞祐訳もさすがは一生かけて訳しているだけあって、評価は高いですね。
(大学時代に、図書館でこの天野貞祐訳の本を借りるも、無くしてしまい、仕方なく弁償しましたが、後に見つかりました。冒頭の写真はその本。)
個人的には高峯訳がよかった。
定番はない、かな。
しかし、翻訳における有名な別れどころは、あまり重要ではなく、原語になっちゃいますね。
「先験的」だろうと「超越論的」だろうと、“transzendental“に頭で変換されてしまう。
むしろ、文構造や代名詞が指すものや意味解釈の誤訳のほうがやばいので。
「あれここ変だな」って思ったら、大抵、カント自身がやばい文章書いてるので、いろんな訳を参照したり、二次文献やコメンタール読んだり、原典や英訳にあたったりして、徹底的に追求するか、些末だと判断して無視して先を読むか。
結局のところ、
最初は、とりあえず、自分自身にとって手に入りやすく読みやすいやつが1番と思います。やはり中山訳かな。
一回読んだら終わりというものではないですし。正確だろうと挫折したら意味ないので。
中山訳でなかったら、図書館や書店でペラペラめくって自分に馴染むやつ…私の場合は天野貞祐でした。当時はまだ中山訳出てなかったし、高峯訳より前に読んで愛着が湧いてしまった。
こちらは純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判の3つが一冊になっている稀有な本。もちろんドイツ語。
なんで一冊にしたんだあああああ!
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