これから言うことは反発を招くかもしれませんが、美術において、今では評価されているという理由で酷評することが禁止され、美術史に残っているから素晴らしいものなのだろうという前提でしか物を見れないならば、今後もノスタルジーに浸るばかりでもはや発展はないと思います。
セザンヌやアンリルソーで理解しなければならないこと。それは、彼らは絵が”下手”だということです。
私は喧嘩をしたいわけではなく、ちゃんと理解したほうがより味わいが深まる点を美術史を踏まえて述べたいので、ぜひこの先もお読みください。
セザンヌの絵画は、絵画を実際に描いて勉強するとわかるのですが、美大の試験に落ちます。「質感が全部一様で違いがないし、パースも取れていない」みたいに言われてしまいます。
実際に、セザンヌの絵を見てみましょう。ぜひ、実物を見てください。
単純に、セザンヌの絵を見ると、
布が布としての質感があるか?ない。
植物が植物としての質感があるか?ない。
林檎はましですが、基本的には一様なマチエルです。
パースがとれているか?とれていない。例えば、林檎の絵を見たら、落っこちそうである。
それがセザンヌが下手な理由です。
しかし、ピカソやブラックはそこに注目したのです。
ピカソは、「こんな下手な絵はどうやっても俺には描けないよ、逆にすごい!」と言って、アンリルソーやセザンヌの絵を積極的に取り入れました。
ピカソは子供のころから、上手い絵を描き、老年になってようやく子供のような絵が描けるようになったと喜んでいます。
逆転の発想!
サロンでは決して評価されなかったセザンヌとアンリルソー。
下手だと言うと、反発があるかもしれませんが、下手で他の誰からも見向きされなかったからこそ、ピカソたち天才に取り出されてこれはむしろすごい、とても異質で良いなという評価があったのです。
そして、それだからこそ、美術史には残るのです。単純にめちゃくちゃうまかった画家、例えばアレクサンドル・カバネルの作品は当時は絶賛されましたが、今では知っている人の方が少ない。
アレクサンドルカバネルはパースや質感に関してはしっかり描けているけれど、特に新たな観点もないので、美術史には残らないのです。
しかし、セザンヌはそういうことに関しては下手だったけれど、それゆえにこそ今まで上手い人たちが気づかなかった素晴らしいことに気がつかせてくれた。絵は現実ではなく、絵なのだから、質感が現実的でなくてもよいのだ、パースが狂っていても良いのだ!むしろ、それは絵にしかできない!!
キュビズムやフォービズムの誕生です。
私はセザンヌについてそこがすごいところだなって思ってるのですが、あなたはどう思われますか?
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