ルッキズムへの嫌悪について。
容姿第一に考えている人が多すぎる。容姿ではなく、もっと心を評価すべきだ、という意見について。
私も、心が最も大事とは思います。
しかし、見た目もまた心に作用します。心とは総合的なものなのです。
臭いにおい、醜い顔、ゴキブリへの嫌悪など、生理的な嫌悪などはどうしようもない。
最近思うのは、心と肉体とが基本的にはひとつだと無意識に思われているのではないかということ。
「人は見た目が9割」という新書を見かけましたし、
また、年数が経つとよく笑う人は笑顔に、よく怒る人は怒った顔になると聞きます。これはまた心が行動に、行動が顔に表れてしまったのではないでしょうか?
まあ、見えるものは肉体なので、最初はそれで判断するしかないし、心が肉体に表れているというのも部分的にはあるのかとは思います。
しかし、例えばホームレスの容姿、地位、お金がない、臭いなどなどの嫌悪から、ホームレスは堕落しているとか、ホームレスは虐めてもいいなど酷いことが言われたり、実際にいじめがあったりもしますね。それはよくない。
しかし、それだけで判断するのはとても未成熟ですね。
心とはなんでしょうか?
心は見えませんね。
いろいろな諸条件から総合的に判断するしかない。
それは言葉?行動?
相手の言葉によって、判断しようとしても、嘘がつけます。
相手の行動によって判断するなら、長い付き合いが必要です。
そうすると、今までの行動としての経歴や長く付き合ってきた周りの人たちからの評価とかになってきたりしますね。
それでもわからない。
私としては、容姿だけを特権化しないで、すべてを含め総合的な評価が良いのかなと思います。
ここであなた自身の心に戻っていきます。
あなたが心を大切にするなら、醜いものを避け、見目麗しいものを好むという相手の心のことは大切にしないでいいのだろうか?
容姿はたまたま生まれてきた時、持ち合わせていた容姿がそれだったのでしょうが、心もまた、たまたま生まれてきた時持ち合わせていた心がそれだったのかもしれません。
そうした見た目なりで判断する人たちがいても、容姿の評価軸すべてを切り捨てるのも、見た目で決める人たちの心がわからないと切り捨てて、自分はそれとは違って心がきれいだなどと無意識に思うことも、また同じくらいに低劣だとは思いますね。
わかり合おうとしないなら。