2023年6月27日火曜日

人生諦めてないか? 〜ハイデガー、キルケゴールの哲学〜

 私が本当にしたいことは何か?

私が私自身になれているか?

私自身になることを諦めて、人生、我慢してないか?


実は、そういうことを前期ハイデガーは問いている。と私は思いました。


来世を信仰する宗教においては、今現在、私が満足しているかどうかは関係なく、それを来世に先延ばししてしまう。


キルケゴールは、この来世への先延ばしが約束されないということを絶望と表現しました。

絶望こそが、死に至る病です。

来世を約束されているならば、死んでも、死には至らないわけですが、絶望とは、来世を約束されないことを意味します。だから、キルケゴールは死に至る病は絶望であると言いました。


来世を信仰する宗教は、今も、無宗教者と言われる人たちに、より悪い形で蔓延している。前期ハイデガーはそう読み取っているようでした。

それは「今はまあまだいいか」「こんなもんでいいか」という先延ばしよりひどい精神です。

みんなそういう言い訳を自分にして、なんとなく大衆に流されて、本当はやりたくもないことをなぜかとりあえず中途半端に嫌々やるハメになっている。


それを前期ハイデガーは言及していて、将来に来る死を自覚することで、絶望し、絶望することで、なら、今しか私が私自身になる時はない!という意味で、本来的な自己に至るきっかけになるのだと考えました。


キルケゴールは絶望と言ったが、ハイデガーは死への不安と言った。

そして、その不安は沈黙という良心の呼び声を生じさせる。


それは沈黙なのだが、「本当にやりたいことをあなたは後回しにしてない?本当にそれでいいの??」という呼びかけなのである。


そんな感じで読みました。

2023年6月20日火曜日

そのメッセージは誰に宛てられているのか?

 郵便

「きっと目にうつる全てのことは メッセージ 」荒井由美


あなたが読み取ったあらゆるメッセージの宛先はあなたにある。なぜなら、あなたがそれを受け取ってしまったから。

2023年6月9日金曜日

一旦、レッテルを貼ろう!?

多くの物事は複雑で、理解するのには時間がかかるし、そのため人にそれを正確に説明して伝えるのは難しい。


だからこそ、

一旦、軽いレッテルを貼るのは有効かなって思います。

一旦レッテルを貼ってから、そのレッテルと本体とのズレを見ていくというか。

私は何者かって聞かれるとき、「個展やるほどには絵も描くし、書も嗜むし、カラオケパフォーマンスしつつアングラな舞台の俳優もやって、カント哲学で書店で講義をすることもあり、また、FMラジオのパーソナリティもしてたことがある映画好きです。」と言っても「はい?結局何者なの?」ってなる。それよりは「舞台俳優です」ってレッテルをつけてもらうように答えてから、話していく流れで「実は哲学もします」とか答えていってレッテルとのズレを顕にしていくというか。

そのほうが相手、読者、受け手に伝わりやすく良いかなと。

2023年6月3日土曜日

カント哲学 「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従っている。」

 カント哲学

「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従っている。」


例えば、生まれた時から一生外せない赤い色眼鏡をつけた人間。彼は物を見ると、すべて赤く見える。したがって、「すべての物体は赤い」と考える。

しかし、本当に赤いかどうかは色眼鏡を外さなければわからない。

これは譬え話だが、


人は、時間、空間、概念、(および論理)によって何かしらの物を認識する。

だから、時間、空間、概念、論理がその何かしらの物(認識の対象)に備わっているのだと勘違いしているのだ。

しかし実はそうではなく、時間、空間、概念、論理という認識の枠組みが人間にあって人間はそれでしか認識できない。

だから、すべての物体はその認識の枠組みを通して、時間、空間、概念、論理的に整合性のある物として見えている。

いわば、時間、空間、概念、論理という色眼鏡をかけているのだ。

考えていない人も考えている

 「人間は考える葦である」パスカル


「大方の人間は考えていない猿である。正確には、大方の人間は浅いところまでしか考えていない。そして、この考え自体が浅い。私もそう深くは考えていないで適当に言ったのである。」

カイン


もちろん、哲学に携わらない人でも常日頃から考えています、瑣末なことを。


誰かに向かって「君は考えていない」と言うとは、言った人が思う「考えるべきことを考えていない」というのが含まれているように思われます。


哲学に携わっていても、カントやらニーチェやらについては考えても、それを自分の人生に引き寄せたり、もっと重要なことについては考えていないかもしれない。


しかし、重要なことというのは人によって変わる感じもします。もちろん、ある程度は絞られますが。

考えるべきことはある人にとっては「自分の家族」について考えることなのかもしれないし、将来の身の立て方かもしれない。しかしそうすると、国家のことか、地球のことかは大き過ぎるがゆえに考えても意味のないことかもしれません。しかし、別の人にとっては逆で、そんなに身近なことよりも、国家のこととか地球のことを考えるべきと思うかもしれない。など