・純粋芸術は可能か?
オルテガ・イ・ガセットの「芸術の非人間化」
純粋芸術について
芸術から、人間的なもの(ドラマ、物語、感情的なもの)を廃し、抽象され、稚児の遊戯のような、私に言わせれば抽象化はまだ人間的である、何かの抽象だから。しかし、抽象的かつそれが具象への還元が不可能なほどまで到達しなければならない。純粋芸術。芸術のみによる芸術。
ちなみに人間的な芸術とは何か?それはもちろん物語に音楽に視覚効果に言葉を駆使する総合芸術である。ヴェルディやワーグナーだろう。
非人間的な方向に進むことはできるが、完全に非人間化することは可能か?
結論:不可能。芸術が人間的であるとは、人がそこに何らかの感じというものを受け取ることであり、それが完全に廃されれば、それはもはや誰も気づかず通り過ぎなければならないのではないだろうか?
モンドリアン<ピカソ
ピカソはモンドリアンに比べ、ちょっと人間臭さを感じさせる芸術になっている。
・深いこと言おうとすると難解すぎる。簡単にしようとすると、浅はかでダサくなる。
マニアックなマジックのわからなさと物語性
マジックと哲学の融合
ポーの「盗まれた手紙」デュパン
ブランドとセンス、だささ
・私の芸術分析論
絢矢のファッションと音楽の理論→芸術とはプロポーション、関係性、配置である。
ニーチェの「悲劇の誕生」→アポロンとディオニュソスの対立から芸術が生まれる。理性vs感情
ゲーテの「ゴシック建築に関する美術論」→ゴシック建築の力強さを強調。(ロマンチシズムの萌芽)
プロポーションとダイナミクス
プロポーションは作品内在的に成立する。要するに、私との関係から切り離されたものとして構成可能なものである。例えば、富士山の絵の構成。
ダイナミクスとは力強さのことである。それはある種の私と作品とのある共鳴である。例えば、富士山の絵の富士山そのものの雄大さ。ただ富士山そのものの雄大さは、意味的な側面や、絵の構成によっても形成される。意味についてはダイナミクスの方に入るかどうかは検討中であるが、絵の構成についてが問題だ。プロポーションとダイナミクスの関係はなかなか切り離せず、この富士の絵の例も不適切かもしれない。そこで私なりにダイナミクスだけで取り出せしやすいものを考えてみた。例えば、光そのものはどうだろう?光は確かに闇との対比によって強調されるものだが、光そのものは無条件に他の何かとの関係を考慮することなく、力を感じさせるものであると言えるのではないだろうか?
ところでプロポーションについては数値化可能である。客観化可能であり、関係性が作るものである。一方でダイナミクスは主観的であり、したがって説明し難いものである。
ところが、プロポーションにおける美は実はその構成の内にみせる小さなダイナミクスに魅せられているのだと気づくだろう。つまり、最終的にはすべてはダイナミクスに移行するのである。
・現象学斎藤慶典「知ること、黙すること、遣り過ごすこと」全ては現象である。=何らかの形を持って現れる。反復と過剰→あらゆるものはすべて芸術である。
美術館よりも散歩のほうが感性を磨くことができる。
なぜなら、美術館では、「これが芸術だ」と提示されたものを見せさせられているけれども、散歩では私が積極的に見出さなければすべてを芸術として見ることも芸術でないと見ることもできるからだ。
そこで私は「私の出会うあらゆるものは芸術である」という意識で散歩を始めた。そうすると本当にあらゆるものが芸術として現れるようになったのだ。
恋愛についてだが、私はどんな女性でもその女性に美しさを見出すことができると思っていた。私の受け入れの幅が大きいだけなのだが。
同様に感性を研ぎ澄ませれば(理論上は)なにものにも美を見出すことができるはずである。
ところで、どこか忘れてしまったがアリストテレスは次のように言っていたようだ。本当に芸術に深く親しむようになると、芸術は奏でるよりも深く聞きほれるようになると。
私は、むしろ芸術を奏でる、芸術を創作することは最も芸術から離れた所作であると考えていた。芸術が好きなのであれば、必ずそれを感覚し享受することが第一に来るはずだ。自己満足で終わるべきものではないのか?自分自身で楽しんで終わりにせずに他人にそれを提示すること、それは自己顕示欲の表れなのではないか?それは他者に対する自己の提示、自己主張なのであって、芸術とは無関係のものだ。というのも、芸術はあまりにそこらじゅうにあふれているので、それに気が付けば、他者への自己の欲望の達成以外には何も創る必要性に駆られないはずなのだ。
こうして、時代とともに現象学は受容理論とも相性よく、作者から読者や作品それ自体へと重心は必然的に移行していくのだ。
マルセル・デュシャンのレディメイドの作品「泉」を私はこう解釈する。我々は美術館や画廊という場所にある特別性を見出してきた。つまりは美術館・画廊とは芸術と出会う特別な場所であると。ところが、そうした場所に我々が常日頃見慣れているトイレの便器なるものが置かれている。我々はこれを美術品として見ることを余儀なくされる。デュシャンは美術館に置かれるということ自体が作品として置かれているものに芸術というレッテルを貼られるということを見抜いていた。
私にしてみれば、普段から接しているものから美術館に展示されているものまですべては芸術である。美術館や画廊という空間が、いやむしろ「これは芸術品だ」というくくりが美術館や画廊に行ってはじめて芸術と出会えるもの、芸術作品としてつくられた作品だけが芸術であるという狭い考えへと人々の視野を狭めるのだ。
花木の個展meetingにおいて作品から自分の日常とmeetingする。なおかつ出会った日常はすでに作品において再構成されている。そのことによって、画廊から出た後の日常が今までとは異なった見え方をするようになる。その意味において私は創作を見直した。
永井均の<わたし>というものの歴史的特異性
この<わたし>は(この唯一の<わたし>の)世界を何らかの形として捉える(あるいは構成する)何かであって、カントの用語でいえば、超越論的統覚だろう。<わたし>にこの捉える、あるいは構成するということが随伴しなければ、<わたし>が死ねば世界がなくなるということが成り立たない。
一方で永井均は通俗的道徳に関して、私はなぜ道徳的でなければならないのかと問い、道徳的でなければならないことの道徳的理由は提示できず(むしろ提示してもその理由を求めることとなり)、没道徳的理由(私の利益になるから道徳に従う振りをする)に還元することしかできないとした。
ところが永井均は通俗的道徳についてそれを糾弾したが、それに代わる何かを提示するようなことはしない。
ヴィトゲンシュタインは、語りえぬことについては沈黙しなければならないとしたが、彼は神や宗教について切り捨てたのではなく、むしろ信仰に熱いからこそそれについての真理を語る言葉が存在しないことに葛藤していただろう。
ニーチェはキリスト教的道徳に代わる貴族道徳や力への意志といったものを提示した。ニーチェなら道徳を改変する方向へと行動するだろう。
私が考えるに彼らと永井均との違いは、西洋的伝統である「強い意志」の系譜だろう。
もちろん古代ギリシャまでさかのぼることはできるが、認識論の論争をカントが調停したその後、つまり、ヘーゲルとショーペンハウアーがその代表にできるのではないか。(ただカントも善意志を提示しているが、意志に関して論の作りこみが弱いように思われる。
ヘーゲルからマルクスに至っては、実際に世界を変えてしまおうとするこの強い意志から、「行動」「革命」「団結」といった共産主義へと繋がる。
一方ではショーペンハウアー、ニーチェ、バタイユ、フロイトが自己を欲求あるいは意志とし、自身の行為や認識、それどころか世界までをも支え、生成させるものとした。
分かりやすい対立で説明すると、自己を何として考えるかというところに現れる。
永井均の<わたし>というのは、「自己とは視点(統覚)である」ヘーゲルからすれば「自己とは意志(欲求)である」ということなのである。
ほとんどの哲学者はこの意志について関心をもっているのに、永井均だけはそれが抜けているように思われるのである。
続いて、この「自己とは視点(統覚)であるという考え方は日本固有のものなのではないのかという私の仮説があり、大切なことなのでそれを説明する。
景観論について。
ドイツでは伝統的景観に関して法律があり、守られている。日本はそうではない、日照権ぐらいはあるがこれはまったく伝統的景観とは関係がない。
日本では、例えば少子高齢化によって祖父母が亡くなり、家だけが残った場合、ただでさえ固定資産税がかかるのに相続税がかかり、家をつぶして更地にしたほうがお金がかからないのである。そうして更地は売られ、儲かるマンションが建てられ、景観は壊れる。一方でドイツではそうした住む人のいなくなった家を再生させるために補助金が出たりするそうである。
ここで大事なことは日本の法制度が伝統を守るとか守らないとかいうことではなく、そもそも伝統について何も考えないということである。しかし単純に非難できないのは、それが日本の日本人らしい考え方かもしれないからである。つまり、日本人は家屋は建築するものであるという認識があるのだが、歴史や景観や道は建築するものではなく、自然にできるものであるという考えがあり、法制度や行政システムから建築されるものであるという認識が比較的低いのである。
西垣通の日本論
西垣通は第五世代コンピュータの開発が失敗に終わった原因を、日本の技術力ではなく考え方であると見抜いている。日本は輸入されたものを受け入れそのまま処理速度、解像度、効率性において精度を上げ、あとは日本に受け入れられやすいように開発を行っていく。日本独自の開発がないわけではないが、特にコンピュータの開発においては日本と西洋の違いが如実に表れた。
西洋では最初の電子計算機の構想つまり、チューリングがエニグマを自動的に解読する機械を開発するときから、人間の頭脳や言語の構造について考え、人間の構造についての理解と発想がコンピュータの開発に関わる。ところが、日本ではいかにしたら論理回路を直列ではなく並列につなげることができるかどうかに焦点が向けられていた。日本の焦点は明らかに間違っている。直列から並列につなげられるようにしたところで根本的な考え型が変わるわけではない。むしろ、根本的な思考というものの本質から考えるべきなのにそれをしなかった。そのことによって、第五世代コンピュータは並列につなげることには成功したものの、大した成果は得られなかった。
村上隆の日本論
村上隆は日本の絵画業界を大方次のように批判する。客観的に評価しようとするニューヨークの批評に比べて日本の批評雑誌は主観的で曖昧な評価をつけるものが多い。それはこの日本の絵画業界では、アーティストを批評することで世界に通用するアーティストを育てるということを目指すものではなく、むしろ、美術の先生や講師になることを奨励しているからである。実際、ほとんどのアーティストは教師や講師になりながら活動することがほとんどであり、展示しても身内ばかりやってくる狭い世界にいるのです。
そのために、自己完結的、自己満足に終始してしまうことが多く、ニューヨークの第一線で何が通用しているのかもわからずにいるのです。
ニューヨークではアートにおいてその歴史的変遷における立ち位置や新規性といったものを含めて考慮がなされるのですが、日本ではそういった部分に焦点があまりあてられず、むしろ、日本のアートにおいて重要なのは、そのアーティストの一生という物語に重心を置くのである。
私の勝手な想像であるが、私が高校で美術科に属した経験から鑑みると、これは芸術における公教育が実態が放任教育となっていること。画塾や芸大でも結局のところ技術力を中心に進められるということが大きな要因かもしれない。
日本芸術論において、庭というものが比べられたことがある。西洋の庭における水とは、その水に創造させ自己主張させることである。そのため、水が吹き上げられる噴水というものが考案される。
一方で、日本の庭における水とは流れるものであり、つまりは自然にある川であり、その川とその他のものとの関係性である。関係性を重視するからこそ水そのものは重要ではなく、水ですらなくてもいい。だから白い石が敷き詰められて川に見立てられるということが起こってくる。
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