なだいなだ著「神、この人間的なもの -宗教をめぐる精神科医の対話-」
今日はこんな本を読んでいました。
そうして、読みながらいろいろと考えていました。
例えば、
「どうしてマルクス主義はこんなにも世界に広がったのか。」
それはキリスト教と同じで人々が希望を見出したから。
他の要因を上げるなら、政治的運動とその戦略になってくるかもしれません。
しかしながら、思想的には少なくともコミュニティを重視したということがある感じがあります。
「プロレタリアートよ、団結せよ」
と、これはマルクスとエンゲルスの著「共産党宣言」の有名な標語です。
これについて内田樹が指摘していることだが、
資本主義の打倒うんぬんよりもまず団結を先に上げているのはなぜか?
それは団結こそが鍵だからだ。
と説明しています。どういうことなのか?
今日はこの団結が鍵であるということについてちょっとだけ考えてみようと思います。
しかし、そうした身分制度を越えて団結することができたものがあります。
それが宗教です。キリシタンや仏教徒など、団結して一揆が起きていますよね。
ところが、現代日本においては、一方ではソ連崩壊やあさま山荘事件、そして、もう一方ではオウム真理教による地下鉄サリン事件があり、
新興宗教全般と社会主義全般にネガティブなイメージを持っているためと、
誤った個人主義=都合のよい実力主義=都合の良い自己責任論が蔓延ることによって、
人々はなかなか団結しようとしなくなりました。
誤った個人主義とは??
プロレタリアはプロレタリアだけでは運動を起こすことはなかなか難しい。必ず理解あるブルジョワや成金の後押しがある。
しかし、今では、
「私の成功は私の実力、私の努力によるもの。あなたが下層にいるのはあなた自身の責任だ。」
これが誤った個人主義で、これでは団結など起こらない。
その意味では、団結というのは宗教的な土台に基づいている。
それは、「私の才能や努力や実力、結果は私だけのものではない。だから、成功したら還元しなくてはならない。」というようなもの。
宗教だったら、私のものではなく神のもの。
社会主義ならば、私の成功は、すべての人が関わり合って成功を成り立たせているこの社会のもの。
(団結の例:エミネムは、上にのし上がったら、地元の仲間みんな連れてきて、D12というグループでアルバム出したように、自分ひとりの成功を自分だけのものにしない。まあ、これはたまたま知っていた趣味的な例だが(笑)。)
(ちなみに、古くからある団体はそれ自体が権威的なものとなってしまって単なるいるので、新たな運動を起こすには改革が必要。それが例えばプロテスタントの始まりですし)
今日はここまでですが、組織、集団、団結というものについて今後とも考えていく必要がありそうです。
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