2010年12月22日水曜日

私の哲学

私は自分がどのように生きたいのかを知りたい。
(「私は自分がどのように生きたいのかを知る」とはどういうことなのだろうか?知りえるのだろうか?)
私は本当に「自分がどのように生きたいのかを知りたい」のだろうか?ということを知りたい。

私とは何か?
「私」という言葉を発すると同時にその「私」はすでに過去のものとなってしまう。その中でも今現在あるこの自己意識こそが私なのではなかろうか?という永井均的<私>の考察
私が無ければ時間はない。時間が無ければ私はない。時間に現在などなく過去未来だけがあれば、私など無い

本当とは何か?
すべては単なる主観的なお話に過ぎないのであって、本当は言語(パースペクティブ)の内で生成していくのであるのではないか?
生きるとは何か?存在とは何か?

私は自分がどのように生きたいのかを知りたい、という問いは単なる逃避なのだろうか?
堕落なのだろうか?知りたい。
ただ単にお腹が減っているのだろうか?ただ単に眠いのだろうか?

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