2010年12月1日水曜日

私の孤独について

孤独感とは何であろうか。
私は私の孤独感をコミュニケーションを求める欲望との対比で明らかにしたい。
単に一人でいることが孤独感の条件ではない。孤独感とは人間関係或いは他者との関係の断絶なのである。たとえば、一人でTVを見ているとき、私は孤独感をもたない。ところが、そのTVでの笑えるシーンで笑い、思わず「これおもしろいね」と口に出した瞬間、そこにその気分を共有すべきだれもいないことに気づき、孤独を感じるのである。
あるいは一人山に登り、夜空いっぱいの星星を眺めているとき、わたしは孤独感を持たない。この世界いっぱいに自分の存在が広がる思いである。しかし、ふと、この気持ちを誰かと共有したいと考えたとき、自分が一人でいることに気づくのである。

孤独とはなんであろうか。
孤独感とは私は今実感している世界とその外側に、今実感しない世界を想定したときの二つの世界の境界である。
例えば、一人山に登り、小鳥のさえずり、すがすがしい空気を感じているとき、私は世界と一体となったような気分に襲われ、満足感に満たされる。ところが、この光景や気分を誰かと共有したい、あるいは誰かに伝えたいと考えたとき、私の実感している世界のようなものが突如として小さくなり、自分の実感できない外にある大きな世界を想定あるいは、別の場所にある世界を想定してしまうのだ。そのとき孤独を感じる。

孤独とは何であろうか。
孤独感とは、自分が一人でいることに気づくことである。
TVで笑えるところで笑い、無意識に「これ面白いね」と言って、隣にだれもいないと言うことに気づくとき、そんなときには自分が一人でTVを見ているということを別の視点から眺めている感じがする。

孤独とは何であろうか
孤独感とは、例え人々と一緒に居ても、気持ちがいっしょにいないことである。周りの空気に合わせていても本当に心で思っていることとはまったく違う。自分が他人に向って言っていること、自分のいる場所や何もかもに違和感を感じる、この世界が非現実的な、夢のようなものに見える、異質なものに見える。

孤独とは何であろうか
孤独感とは、他のあらゆるものを対象化させて、突き放して見るということである。
「私とは誰かと問う私とは誰かと問う私とは誰か・・・」
上記のような無限の問いは「私」なるものを無限に対象化する。このような堂々めぐりに陥るとき、本質的には自分はたった一人しかいないと感じる。
誠実に哲学するものは孤独からは逃れ得ないのである。

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