全ての現象は一回こっきりとも言えるが、全ての現象は何度も起きているとも言える。
例えば、🎲
サイコロをふって、一の目が出た。
もう一度サイコロを振って、また一の目が出た。
最初に出たサイコロの目は次に出たサイコロの目と全く違っているわけではないが、微妙な点で違っている。
「違い」というものは「同じ」土台の上でしか認識できない。
理性はその「違い」と「同じ」を見極める力である。
「サイコロの目はともに一の目である」という点では、両者は全く同じである。
しかし、同じサイコロの一の目であるからこそ、両者を比べて微妙な差異を見出すこともできる。
一切は同じだ。
一切は異なる。
それは同じもののふたつの側面について言っているだけなのだ。
ソクラテス以前の古代ギリシャ哲学者ヘラクレイトスのときから言っていることだ。
「同じ河流に、われわれは足を踏み入れているし、また踏み入れていない。」
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