たとえば、
既にスペイン語がネイティブレベルなのに、外国語学部でスペイン語学科に行くのは意味がありますでしょうか?
それは、その意味が何かによると思われます。
例を挙げるとわかるかもしれない。
勉強しなくても、首席で卒業できるという意味とか?
周りの学生や先輩に在学中マウント取りつづけられるという意味とか?
大学によっては飛び級できる。
すでにスペイン語ができるので、スペイン語学習のいくつか授業をとらずに文法など弱いところだけ究め、ゼミでスペイン語を第二言語習得論として、速攻で取り掛かり、ハイレベルのスペイン語の卒論が書ける。
文法というか、スペイン語教師として必要な科目を取ったらかなり意味はありそう。
日本人も日本語はかなりできていても、日本語教師としての科目を勉強しなければ、日本語を外国人に教えることが難しいように。
どういう意味を求めているのか??
狙いは、スペイン語がうまくなりたい女子大生かもしれないしw
外国語学部に入った理由がそれの男性はまあ正直いると思うw
逆に、それ以外の人にとっては本当に意味があるのだろうか?
大学に学びにきてる人少ないから、ほとんどの人は大学そのものがあんまり意味がないように思われる。
大学でスペイン語を専門的に学んでそれを社会で活かす人もかなり少ない。
そういうわけで、
ある意味、意味はあるし、ある意味、意味はないw
ここから、個人的な話をしますが、
実は私は外国語学部ドイツ学科卒ですw🇩🇪
私がそのドイツ学科に入ったのには6つの理由があります。
1. 私は哲学にはまっていて、その学科にはたまたまカント研究のある程度権威の方がいて、今後のコネや哲学書への取り組み方が学べると思ったから
→結果、その教授は私が3年のときに一橋に引き抜きされていなくなりました。また、あまり、学べませんでした。ゼミの選択や卒論指導はどうするかなどいろいろと困りましたが、近隣大学に乗り込んでモグリで聴講し、教授や院生と交流を深めました。
2. また、高校から演劇を部活動でやってきていて、その学科には単位もらえて公演もできるドイツ語古典演劇の授業が科目としてあるから。
→結果、ドイツ語発音についてはかなり学べたが、ドイツ演劇についてはそれほど学べなかった。今でも舞台俳優をしているため、多少は箔がついたかなと思っています。
3. 高校の地歴公民および中学社会の免許取れるから
→結果、免許は取得しましたが、高校教師にはなりませんでした。しかし、幅広く教養が身につきました。
4. 西洋哲学を本格的にやるにはどうしても語学が必要。だが、中学から私は英語がかなり苦手で、ドイツ語が得意になるには語学を集中的にするしかないと考えたから。苦手克服。
→苦手克服はできましたが、研究者にはなりませんでした。しかし、独学で今でもドイツ語に取り組んだりもしていますし、日常的に目にするものの語源や意味に興味を持って、すぐ調べます。その他にラテン語やギリシャ語、フランス語、スペイン語などもちょっぴりかじりました。
5. 宗教についても学べるから
これは学科というより大学の風習に近いものです。ミッション系の大学のため、神学部キリスト教学科があり、キリスト教の方々と交流があるかもしれない。そして、西洋哲学を学ぶにはどうしてもキリスト教的な素養が必要だったため、多少なりとも、触れたいと思っていました。
→多くのキリスト教信者の教授や学生と知り合いになり、また、宗教的なイベントに参加してみたりして、文化に触れることができました。
6.留学がしやすいから
→ドュッセルドルフに1ヶ月間、バンベルクに1ヶ月間、2度に渡りドイツ留学することができました。
詳細はこちら→「海外留学における諸実践の記録」
追記
私がいたところは南山大学というところで、もともと単なる語学専門学校でした。
しかし、南山大学となり、
言語学とドイツ文学とフランス文学と英文学とスペインラテンアメリカ文学は人文学科が。
経済学は経済学部が。
法学は法学部が。
それぞれ担っています。
外国語学部では、ドイツ語学、フランス語学、英語学、スペイン語学があり、研究としては第二言語習得論の専攻などが主だったものとしてありました。
そして、もとは人文学部にあったドイツ文学学科が外国語学部ドイツ語学科に併合され、ドイツ学科になるという形で、英文、仏文、スペインラテンアメリカ文も同じように併合され消え失せます。
しかし、神学科があるのに、人文学部に存在していた哲学科は潰れ、人文学部人類文化学科の中の哲学専攻や神学部キリスト教学科の哲学専攻や外国語学部ドイツ学科の哲学専攻に分散してしまっていたのです。
そうして、外国語学部における哲学専攻はもちろん語学に強い哲学となるわけです。
とはいえ、結局、入ってわかったことは学科とかではなく、すべては教授次第であるとわかりました。
また、私は舞台俳優を今もしていますが、南山大学では語劇も伝統的にあり、外国語学部のそれぞれと神学部が授業でそれぞれの言語の演劇を学び、演劇祭が開かれていました。神学部は野外受難劇があり、今では部活としてあります。
他の言語もほとんどが部活やサークルとしてしか残っていません。
しかし、ドイツ学科だけは授業として残り、授業外でも舞台練習をしたり、合宿をしたり、舞台公演やときには海外公演を行うほどで、部活か劇団のような授業でした。
僕自身はこれを目当てにしていたというのもあります。
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