2010年9月14日火曜日

「蛇にピアス」 ―所有―

 龍と麒麟は最後のかさぶたを作り、それも完全にはがれ、完璧に私の物となった。所有、というのはいい言葉だ。欲の多い私はすぐに物を所有したがる。でも所有と言うのは悲しい。手に入れるという事は、自分の物であるということが当たり前になるという事。手に入れる前の興奮や欲求はもうそこにはない。欲しくて欲しくて仕方なかった服やバッグも、買ってしまえば自分の物で、すぐにコレクションの一つに成り下がり、二、三度使って終わり、なんて事も珍しくない。結婚なんてのも、一人の人間を所有するという事になるのだろうか。事実、結婚しなくても長い事付き合っていると男は横暴になる。釣った魚に餌はやらない、って事だろうか。でも餌がなくなったら魚には死ぬか逃げるかの二択しかない。所有ってのは、案外厄介なものだ。でもやっぱり人は人間も所有したがる。全ての人間は皆MとSの要素を兼ね備えているんだろう。私の背中を舞う龍と麒麟は、もう私から離れることはない。お互い決して裏切られる事はないし、裏切る事も出来ないという関係。鏡に映して彼等の目のない顔を見ていると、安心する。こいつらは、目がないから飛んでいく事すら出来ない。金原ひとみ「蛇にピアス」p82

私は欠けた歯をかみ砕いて飲み込んだ。私の血肉になれ。何もかも私になればいい。何もかもが私に溶ければいい。アマだって、私に溶ければ良かったのに。私の中に入って私のことを愛せば良かったのに。そしたら、私はこんなに孤独を味わう事はなかったのに。私の事を大事だって言ったのに。何でアマは私を一人にするの。どうして。どーして。p101

私はリビングでビールを飲んで、あのアマがくれた愛の証を、また眺めた。私は物置になっている玄関脇の棚をあさってトンカチを手に取った。二本の歯をビニールとタオルにくるみ、トンカチで砕いた。ボス、ボス、という鈍い音が胸を震わせた。粉々になると、私はそれを口にふくんで、ビールで飲み干した。それはビールの味がした。アマの愛の証は、私の身体に溶け込み、私になった。p120

所有の究極の形である「私になった」とは自分の手で消してしまうこと。そして、それと同時にそれがほしいという感情が薄れていくのが常である。この作品を「所有する」と言うものさしで読むのもおもしろい。

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